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死者たちに捧げる安息の場

生活の場から次第に遠くなる「墓地」

私の住んでいるマンションの部屋から、眼下に京都の中心部としては珍しい大きな「墓地」が見える。ここは京都なので、この辺りにも全国的に名を知られた古刹も多く、寺領に付属している「墓地」ならいくつもあるが、寺と切り離された、ただの「墓地」だけの存在は数少なくなっているのではないかと思う。おそらくその背景には、管理が行き届かなくなって荒廃している「墓地」は、有利な不動産物件になるということがある。
私はいつのころからか、「墓地」とは人間の社会が死者のために捧げることが許容されている場所だと認識していた。そして、その死者の安息のために与えられた地所である「墓地」が、都市の中から年を追うごとに少なくなってきている。私たちは、長い時間にわたって、それをただ黙ってみていた。

「墓地」も区画整理の対象に

私は20代、30代の頃は音楽マネージャーとして、いつも全国各地を旅行していた。車窓に見える景色は、都市であったり工場群だったり自然そのものだったりするが、日本の主要都市を結ぶ幹線鉄道なのに、意外に農地が多いことに気付く。暇に任せて新幹線の窓に広がる農地を眺めていると、農地の区画整理のようなことが進められていた。こうした作業を観察していると、小さく区切られた農地を集めて広い農地に再区画するようなことをしている。何度も同じ作業を見ていると、土地の再区画とともに、農地に残る墓の整理も行っているように思えた。
時系列的に墓の整理のプロセスを説明すればこういうことだと思う。農地の横に、もともと農地の縁者と思われる人の一つか二つの小さな墓があった。しかし、一年か二年経って、次回その場所を新幹線で通過した時には、農地も整備されて、そうした小さな「墓場」がなくなっていた。その代わりに一つ二つの墓をかき集めて、結果的に数十の墓を擁した「墓地」に集積されていたということだ。

「墓地」をチェックしてみようと思った時、私は定点観測の様に、墓の数が比較的に多かった地域をいくつか選び、新幹線で移動するたびに墓の状況の変化をチェックしてみようと考えていた。私は全国各地を旅するが、「墓地」に関しては定点観測という視点で、JR東海の新大阪駅、東京駅間に決めていた。私は学者ではないので、「墓地」の地所の縮小についても科学的エビデンスというより、文化的な状況が浮き彫りになるシンボリックな結果を求めての行為だった。

都市からなくなる死者の安息の場

科学的なエビデンスは残していないが、「墓地」の地所がきれいに整地・整理されるのに合わせて、「墓場」の所在はその当時の10年ほどで、目に見えて少なくなり、人々というより社会そのものが、「死者に捧げる土地などない!」と言っているようにも聞こえる。事実最近では、「墓苑」と呼ばれたきれいに整備された「墓地」は、人々が住む都市や町から遠く離れたところに造られている。しかも最近では、土の上に建てられた墓ではなく、ビルの中の小さな容器の中にも墓が設けられている。理屈の上では、都市の土地の価格は高騰し、都市に墓を作ることがますます困難になっている。しかし歴史的、文化的に見れば、私たちはずっと、先祖の方々や祖父母、父や母が眠る墓の近くで生きてきた。それは「縄文時代」から続いている私たちの生き方なのだと思う。土地は生きているものが使うだけではなく、それは同時に死者にとっても永遠に留まれる住処といえるのだ。時代の流れは速く、都市にある死者の住処を守れと言っても同意してくれる人は少ないと思うが、私たちの文化からそれを捨て去ることに、やはり私はなかなか同意できないのだ。


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