バクは「悪夢」を食べてくれるか?
夢を食べるという「バク」の発想が好き
私は昔から「バク」という動物が好きだった。実際に動物園で見てから好きになったとか、絵本で知って興味を持ったとか言う前に、子供のころから「夢を食べる動物」という考え方そのものが好きだった。子供心にも、夢を食べるというダイナミズムに圧倒されたのだと思う。「バク」という動物は漢字で「獏(ばく)」と書かれるが、この漢字は古い中国の「麒麟(きりん)」と同じように想像上の動物であった可能性もある。だから、「獏」という漢字が、昔から現存していたマレーの「バク」と同じ動物を指していたのかどうかもはっきりしない。とにかく「バク」は、姿形もユニークなので、どこか特殊な地域が原産地だと思っていたが、驚くことに北アメリカ、南アメリカ、東南アジアにも生息していた。そして「バク」は、奇蹄目に含まれる(バク科)の構成種の総称で、現生種はすべてバク属に分類されるのだそうだ。
「バク」は私たちの楽しい夢を食べるのか、悪夢を食べるのか?
「バク」が夢を食べる動物であることは比較的よく知られているが、果たして「バク」が、私たちにとって悪い夢を食べてくれて、私たちに幸せを運んでくれているのか、あるいはよい夢を食べて私たちに悪夢を与えようとしているのか、そこがよく分からない。もともと「バク」は、中国から伝わった架空の動物で、日本では人の夢を食べると言われているが、民間伝承では悪夢を見た後に、「この夢をバクに差し上げます」と唱えれば、二度と同じ悪夢を見ないで済むと伝えられていることから、いい夢を食べるのか、悪夢を食べてくれるのかは、はっきり決まっていないようにも思える。つまり、人間の都合を考えずに、いい夢も悪い夢も食らうということだ。
中国では「獏(バク)」に関することがいろいろな文献に見ることることができるが、どんな動物であるかは曖昧(あいまい)なところがあって、時には「白テン」「ジャイアントパンダ」「マレーバク」としばしば混同されている。ただ中国での伝説には、夢を食べるという記述はなく、これは日本だけの伝説である可能性もある。中国の薬草辞典に当たる「本草項目」に引用されている白居易の「獏屏賛」の序文には、「バク」の鼻はゾウ、目はサイ、尾はウシ、脚はトラに似ているとあるので、この表現が実物に一番近いのかと思う。
中国では、「バク」が、悪夢を食らうという伝説はないが、「バク」の毛皮を座布団や寝具に用いて、病気や悪気を避けたり、「バク」の絵を描いて邪気を払う風習もあり、こうした迷信が日本に伝わる過程で、「悪気を払う」が転じて「悪夢を食べる」と解釈されるようになったとも考えられている。
「バク」が夢を食べるのは、日本だけの伝説
また日本の室町時代末期には、獏(バク)の図や文字は縁起物として用いられていた。正月に良い初夢を見るために、枕の下に宝船の絵を敷く際、悪い夢を見ても獏が食べてくれるようにと、船の帆に「獏(ばく)」と書く風習も見られたという。江戸時代には獏(ばく)を描いた札が縁起物として流行し、箱枕に獏(バク)の絵が描かれたり、獏(バク)の形をした「獏枕」が作られることもあったらしい。
近年のフィクションで「バク」もしくはそれをイメージしたキャラクターが悪役として登場することがある。ところが、伝承とは違って良い夢を食べて私たち人間を絶望に追いやったり、悪夢を見せたりすることが多い。ここにも時代の意識が反映していて、つまり素晴らしい未来を夢見るのではなく、ますます荒廃していく暗い未来を案じているような気さえする。昔から天気、景気、精気、元気、勇気など、「気」という漢字を使った熟語は、簡単に数量化できない「気」のエネルギー状態にあるものを示していると思う。私なりに言葉に換えれば、「気」とは「バタフライ・エフェクト」の要因のように、蝶の羽ばたきのような小さな出来事が、最終的に予想もできないほど大きな出来事につながることをイメージさせる。
「バタフライ・エフェクト」は、気象学者エドワード・ローレンツ氏が1972年の講演時に「ブラジルでの蝶の羽ばたきが、テキサスでトルネードを引き起こすか」という発言に由来している。「バク」と「バタフライ・エフェクト」は差し当たり何の関係もないが、「バク」が荒廃しつつある世界を反映した私たちの悪夢を食べて、「バタフライ・エフェクト」のように、輝かしい未来を大きく描き出してほしいものだと思う。