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探しものはなに・・・?

大掃除の目的は一冊の大切な本を探すため

探しものと言えば、夢や希望、愛といった抽象的なものもあるし、それこそ今必要で必死で探している部屋のカギや、頭の上にかけた眼鏡といった日常的なものもある。実は私は先日、部屋の大掃除をした。なぜ大掃除をする気になったかと言えば、大切な本がなくなったのだ。私の書斎は、というほど立派なものではないが、部屋の陽の当たらない壁には二つの大きな本棚があって、未整理の状態で本棚一杯に本が詰まっている。しかも畳の部屋には、本を積み上げた本の小山がアフリカのシロアリの巣のように乱立している。加えて様々な資料がたまりにたまって、押し入れを開ければこちら側に崩れてくる状態にある。そんなことで、書斎にある無数の本の中から大切な一冊の本を探さなくてはならないのだ。
だから正直を言えば、その一冊の本を探したいので、大掃除をすると理由を付けたことになる。ただ一冊の本を探すために部屋を大掃除するというのも情けないので、掃除によって大事なものをきちんと整理して、必要な時にはいつでも出せるように管理し直すという目的もあることになっていた。さらに言えば、今はやりの「断捨離」ではないが、この際、どう考えても今後必要になるとは思えないものを捨てるという側面もあった。

大掃除を終えても、その本は見つからない

大掃除は一日の予定だったが、終わってみるとほとんど二日間を費やしてしまっていた。本を整理するために、嵩(かさ)はとらないが、かなりの数の本を収められる大きな本棚も二つ買って、掃除を終えて部屋を見回すと、大掃除をしてよかったと感慨に耽(ふけ)ることができる程度の満足感、達成感はあった。そのせいか、気が緩んで掃除の済んだ部屋で四時間も転寝(うたたね)をしてしまった。書斎的なスペースで転寝する必要は少しもなかったが、人間というのはそんな意味のない行動をする生き物だと自覚するのだった。

この時点では、一応大掃除をした目的は果たせたのかと思っていたが、大掃除を終えた翌日になると、相変わらずある大事なものがないことに気付いた。大掃除の主たる目的であった大切な本がないのだ。掃除の際は、私が新しく買った本棚に一冊ずつタイトルを確認しながら本を入れたので、探している大切な本を本棚に入れたのではないことだけは確かだった。ところがその時になって、大切な本というのは何の本だったのか、ふと疑問が湧いてきたのだった。二日間の大掃除の間、その本を頭において探していたはずなのに、それが何の本だったかどうしても思い出せない。

そもそも、何の本を探していたのかさえも分からなくなった

その時、いつも鋭いまなざしで私の行動をチェックする家内が突然部屋に入ってきた。狼狽している私をしり目に、家内は私に探していた本は見つかったのかと聞いてくる。いまさらどんな本だったか思い出せないとは言えないので、偶然手にしていた本を示して、この本だと苦し紛れの嘘を口にした。その本は、戦後まもなく発刊された「家庭の医学」的な本だった。家内はそれを見て、私が何か自分の病気を疑って、自分で調べようとしていたと思たのだろう。すぐに病院に行けと急かされた。いまさら探していたのはこの本ではないとも言えなくて、仕方なく病院に行くと言って、嵐山にでも散歩に出かけて一日つぶすことにすることにしたのだった。



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