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浮気をしたくなるとき

浮気とは、一般的にはパートナー以外の相手を好きになってしまい、その人とリレーションシップをもつことを言う。
しかし実際のところ、好きと言ってもいろいろなレベルがあるので、どこからが浮気なのかなかなか定義しづらい。

そこでここでは浮気の定義を次のように考えることにする。

つまり、浮気とはパートナーに対してマインド(意識)が分裂していることである。
パートナー以外に異性の友人がいたとしても、マインドが分裂していなければ、浮気とは言わない(ということにしておこう...)。

ではマインドの分裂とは何か。
聖書に「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」というキリストの言葉があるが、これはマインドがどこにあるのかということを教えている。

キリストの言う富とは、豊かさの源泉を意味している。
つまり私たちが本来心から愛しているものであり、最も興味の引かれる場所や物、人、出来事などのことである。

通常、人は自分の本当に興味のあることには、100%のエネルギーを注ぐことができる。
マインドが注がれるとはこのことを意味する。
100%の興味が注がれる時、マインドも100%そこにある。

パートナーを愛するとき、通常マインドは全てそこにある。
ところがパートナー以外の人を同じように愛してしまったとしたら、マインド(意識)は分離し100%ではなくなってしまう。

ここで注意しなければならないことは、愛するということにおいて、愛にコミットすることは100か0かしかないという原則である。

つまり50%ずつコミットするなどということはあり得ないのだとしたら、マインドが分裂している状態において、パートナーともう一人の愛人を同時に愛することは不可能であり、それは両方とも愛していないということを意味するのである。100%でなければ0%と同じなのだ。


ではどうして浮気をしたくなるのだろうか。

浮気をしたがる人の特徴はいろいろあるが、中でも最も大きな要因と考えられることは、その人が「完璧(完全)主義者」であるという特徴である。「完璧(完全)主義者」の人は浮気しやすいのである。

それは、彼らは常に完璧を求めて、自らにルールを課しているのだが、それは「自分はダメだ、もっとしっかりと完璧にやらなければ」という心理にもとづいているところが大きい。

つまり、徹底した自己否定がベースにある。

しかし、このような心理の求めるところは、「自分はダメだ」というところを味わいたいという隠れた欲求である。自己否定することで生き延びて来た人は、自己否定されている状態こそが安心であり、安全だと思い込んでいるからだ。

そこで、とにかく物事を完璧にやろうと努力する。そして次に失敗してみせるのである。つまり自分のダメさを証明してみせるのである。

それだったら、最初からダメ人間のままでいればいいじゃないかと思うだろうが、そこはそうはいかない。人間、完全に否定されてしまえば生きてはいけない。

そこで成功と失敗が繰り返されるように行動するのだ。「彼は大失敗もするけど、すぐに取り返すし、やればできるんだ」などという評価を周りに与えつつ、死なない程度に大失敗してみせるのである。

この行動の原則は、全ての対人関係や仕事、生活などに現れる。
夫婦、家庭環境においては、理想的な夫婦、家族を目指して努力しつつも、それがうまく行った時に、壊れてしまいかねないようなことをするのである。


さて実際、浮気はどのようにしてなされるのか。

浮気の理由として一番用いられると思われるのは、パートナーにはない魅力を別の相手に見いだすという作戦である。
この作戦はかなりの確率で成功する。
魅力を持っている人が魅力的に見えるのは当たり前だからである。

つづく


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ざびえる
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