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狩猟を行うために一番大切なもの

狩猟を始めるには、何かしらのきっかけがあると思います。きっかけはとても重要ですが、それ以上に継続する理由が狩猟を行ううえで一番大切なものではないかと思います。

狩猟を始めたばかりで、生き物の命を奪う行為に向き合った時、おそらく「これを続けていいものか?」という葛藤が顔を覗かせることでしょう。特にわな猟の場合、自分の足元で消えていく命を間近で目の当たりにすることになり、いくら覚悟を持っていても悩むこともあります。

今後、狩猟に関する記事では、免許の取り方、捕獲、解体方法などを紹介していく予定ですが、現場に出た時に対峙するであろう葛藤を乗り超えるための参考として、特に始める前の段階の人に読んで欲しいちょっと真面目なお話しです。

<猟師になったきっかけ>
大学時代、鳥獣被害対策の研究を行う研究室で、人間活動が野生動物に及ぼす影響、それにより生じる軋轢を抑えて共存するための方法について研究していました。その中で、一部の因子ですが猟師の存在の必要性を学んだことが猟師になるきっかけでした。と、約95%簡略化しましたが、まぁきっかけは大学時代の研究だったということです。

<命を奪うと現れた葛藤>

社会人になって狩猟免許を取ってから、最初の年にイノシシを捕獲しました。止め刺し後、目の前で弱っていくイノシシを見ていると、「この姿を毎回見ないといけないのか・・・」と思うと同時に、「周りの人や自分自身にも十分納得してもらえる確固たるポリシーを持ち合わせることが出来なければ、来シーズンも続ける資格は無いな」とも。

<自分が出した答え>
狩猟の話をすると、「生き物がかわいそう。」という人が3割程いますが、そう言いながらみんな肉や魚、野菜を食べています(ベジタリアン、ビーガンは肉・魚を除きますが)。そんでもって、ちゃっかりぼたん鍋を食べにも来ます。(笑)

ここで考えてみて欲しいのは、動物も魚も、そして野菜も生き物です。人は塩と水以外は生き物由来のものを食べないと生きられません。
そして、その食べ物はお店で買うことが出来ますが、食材まで加工する人がいるから買えるのであって、誰かが代わりにやってくれているだけなんです。人がやるか自分がやるかという違いだけです。

人それぞれ考え方がありますが、動物も植物も全て同じ命なので、どうせ食べるなら、極力自分で捕って、畑を耕して、釣ったものを口にして、命のありがたみを忘れないようにしたいと言う考えに至りました。

長くなったのでまとめると、「自分の食べる物(命)は極力自分の手を動かし、責任を持って食すべし!」「命を無駄にしない!」というポリシーを持つようになり、2年目以降も狩猟を続けることに決めたのでした。

あくまで個人の考えであり、この中では伝えきれていない部分もありますが、1つの参考程度にしてもらえればと思います。そして、これから自分の考え(ポリシー)を見つけて、狩猟デビューしてもらえると幸いです。