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壊れかけた日傘で、私は遅すぎる親孝行をする。

最近知り合った彼が、
壊れかけの黒い日傘をいとも簡単に
一瞬で閉じてくれた。
私がした時は3分くらいかかったのに。

久しぶりに使おうと引っ張り出したら、
ストッパーのところが欠けていた。
まあ大丈夫だろうと開いたはいいが
閉じる方が困難を極めるとは
思っていなかった。
危うく日傘を開いたまま
電車に乗る羽目になるところだった。

その彼とまた会った時、私は
別の日傘を差していて、
その壊れた日傘の話になった。
ちょうど修理に出したばかりで、
修理代は2200円だった。

それを聞いた彼は、
その金額で新しいの買えるんじゃない?
と言った。

そうだね、と半ば流し気味に相槌を打った。
でも本当は別の返事をしていた。
母親の形見だから新しいのは買わない、
内心そう答えた。

それを実際に言えるほど
彼と近しい関係にまだなかった。
その話はそれ以上の展開を見せなかった。
少し安心した。

私だって、彼から言われたことと
同じことを考えたりもした。

それがわかっていても尚、
修理してまで使うのには
それ相応の理由がある。

亡くなった母が使っていたから。


母が亡くなった当時、
私は母に多くのことをしてもらったけれど
私は母に何か出来ていたのかな、と思った。
何も思いつかなかった。

父に言われた。
生きている時にしか、
何かをしてあげることは出来ないよ、と。
行動において、母に多くを捧げた父だから
こそ言える言葉だった。
生きていなければ何もしてあげられない、
という事実だけがむなしく突きつけられた。
何かしたい、でも何も出来ることがない。
無力だった。


それから月日が流れた。
熱帯ではないかと思うくらい、
異常なほど強い日差しの下に出るには
日傘が必要だった。

修理から戻ってきた日傘を差して外に出た。
日傘を差すと、一人の時でも
母と歩いているような
そんな気持ちになることがある。

母が使っていた物を、私が使うこと。
壊れるまで使い、
壊れたら修理してまた使い続けること。
これってもしかして、
親孝行なのではないかと気づいた。
亡くなった後に親孝行なんて
都合が良すぎるかもしれない。
少し遅かったかもしれない。

それでも私は、日傘を捨てるのではなく
修理して使い続ける選択をした。


人は亡くなる、でも物はなくならない。
捨てることさえしなければ、
確かにそこにあり続ける。

夏が終わった。
日傘は傘立ての中で眠っている。
今年働いた分、
ゆっくり休んでもらうことにする。
私がこれからも親孝行を続けられるように。



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