同人をやめて抜け殻になってしまったのか、抜け殻になって同人をやめてしまったのか
同人をやめた。
3年ほど前、新書サイズ400pを超える小説を年間2本発行し、その他100pの文庫なども数冊出すほどのめり込んでいた同人を、気づけばやめていた。
そして今、ほとんど文書を書かなくなっている。
しかし、だからといってとても暇かと言われればそういうわけでもなく。仕事もプライベートも充実しており、毎日てんやわんやしている。
けれどなんだか虚しい。ふと朝起きた瞬間、全部を終わりにしたくなってしまうことがある。抜け殻のようになってしまった。
かつてあったあのエネルギーはいったいどこへ行ってしまったのか。まったく気力がわかないが、(おそらく)精神的な疾患ではないと思われる。久しぶりに大学時代の友人に会い、相変わらず精力的に活動しているのを聞いて、なおさら虚しくなっている。羨ましい。羨ましくてたまらない。
けれど今、私が手に入れた生活はかつての私が羨んだ生活だ。欲しいものが手に入る。毎日が楽しく充実している。けれど心の中にある引き出しが、一個だけ完全に空っぽになってしまったような錯覚にある。部屋は広くなったはずなのに、狭い部屋ですべての引き出しを開けていた頃のほうが充実していたような気すらしてくる。
この現象をなんというべきか。なんと表現するべきか。頭の中で思想がぐるぐると渦巻いて、けれどどこにも発散できず、何かが濁っているようなもやもやとした気持ちのまま、3年が経った。3年経って、かつての私が羨んだ、かつての私が嫌いなタイプの人種に、私はなってしまったような気がする。そのことが悲しい。ずっと私は私のままだと思っていたのに。ぼんやりと苦しい。
気づけば長いこと文章を書くことをしていない。でも頭の中をぐるぐるしているこの何かを、やはりというべきか私は文章にしないと気が済まないのだと思う。だから久しぶりに今の心境を書いてみた。久しぶりにログインしたnoteでは、かつて私が精力的に活動していたころのことが書かれていた。
元気すぎるだろ。
もうこの頃の私はいないのに、pixivでは変わらず「続きを楽しみにしています」みたいなメッセージが来ていた。ごめんなさい。もう書けないかもしれない。書きたいはずなのに、頭の中がなんとなく煩雑になっていて整理できなくて、エネルギーさえあれば整理できていなくても突き進めたのだろうけれどそのエネルギーがもうない。
悲しい。
もう時効だろうから暴露するんだけど、某絵師さんから「れおさんが小説のプロット作って私がそれを漫画にするっていうのどうですか?」という提案をいただいてプロットを作ったんですがボツにされ、そこから何度か話し合いを重ねた上で2個くらい追加で話を書いたけれどその後連絡が来なくなり、なんだかそういうのもあって界隈から離れたみたいなところがある。誤解しないでほしいのは私はそこまで催促しなかったし、もう半分諦めていたので、向こうが100%悪いかというとそうではないと思う。というか久しぶりに別のTLに流れてきたのでみたら元気にオタクをしていたから向こうは気にもしていなくて、私だけなんとなく居づらくなって、でもそのくらい神経が太くないと同人って続けられないのかもなと思ったりもした。
頼まれて書いたものがボツにされたりなかったことにされたりすることがちょいちょいあって、もう私は誰とも関わらないぞと決めて、けれどそうするとなんとなく居づらくなる。創作ってそういうものだったっけ?となってしまうと、もう書けなくなってしまう。そして私は歳を重ねてしまった。たぶんもう、戻れそうにない。
けれどやっぱり書くことは好きだから、映画の感想とかそういうのをここでちまちま書いていこうかな。近所にできた信じられないくらい美味しい焼き鳥屋さんの話とか。猫のこととか。良い仕事をしている人の話とか。どうかね。
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