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「大江千里が語り尽くす『1234』」 をじっくりと読み尽くした

きのうつぶやいた、大江千里さんの音楽のはなしをもう少しだけしたい

これ、「1234」に収録されている曲ではないんだけど…

「未成年」というサードアルバム(「十人十色」が収録されているアルバム)のいちばん最後の「♮ナチュラル」という曲。千里さんがひととおりメロディーを歌い上げたあとの 4:32 あたりで一瞬音が乱れる箇所がある。

当時の私がものすごく好きだった曲だったのだけど、ミキシングのときになぜこの〝汚れ〟を除去しなかったんだろうな…ってのが不思議で仕方がなかった。それとも〝いらだち〟のあまりミキサーのフェーダーをいじってしまったのか? 何か意図があるんだろうな。

ひょっとすると、千里さん周辺の音楽雑誌を読み漁りまくったら何か答えがあったのかもしれないけれど、現時点では私はまだその答えを知らない。
そういやWikipedia はおせっかいすぎる情報をくれることがある。
こわごわ調べに行ってみたけれど、

ナチュラル
詞と曲を同時に作りあっという間に完成したという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/未成年_(大江千里のアルバム)#曲解説 から引用

としか書かれていなかった。なぜかすごく安堵した。
無理に答え合わせなんてしなくたっていいって ^^; 。



ネタバレになるとやばいので
私が語り尽くしちゃいかんよね (安心してください)

この記事はPart 4まである。なお、Part 2 以後はウェブ音楽誌「otonano」の会員にならなくては読めないが、ありがたいことに無料会員登録で昨日(2024年5月24日)リリースされた最後の Part 4 まで読ませていただくことができる。

商業音楽ってあくまで商業音楽(売れること、トップをとることに勝負を賭けているという意味)なんだろうな…と当時の私は思っていたにちがいない。Part 1 を読んだ段階ですでに、そのあたりの戦いみたいなプロフェッショナルな〝緻密な作り込み〟のプロセスを存分に知ることができた。このアルバムは、足でリズムをとりたくなる「GLORY DAYS」からはじまって、聴き進めていくにつれて「渋谷のグリルの主婦たち」の光景だったり、「モスクワでセスナが降りた」り「青森や佐世保や呉や 招かれない船が港に入」ったり … いろんなシーンが散りばめられている。

ジャケットと同じくモノトーンなふうでいて、時にはシリアスになり、カラフルな音になったり、やはりモノトーンに戻ってきたり、それでも最後にはカラッと締めるアルバム。なのに、これほどにも違和感なく聴き進めることができるのはなんでだろう — というのが、リアルタイムで耳にしていたころの私の感想。

以前に私はこういう記事を書いた。

千里さんの5作目のアルバム〝AVEC〟(1986年)。その中に渡辺美里さんのデュエットによる「本降りになったら」というすごくいい感じの曲がある。
     (中略)
ただ、私の千里さんの音楽遍歴において先に出会ったのは、冒頭でも書いた〝1234〟のほうだったと思う。リリース順でいえば新しいほうが先で、古いほうが後なわけだが…〝1234〟はもう私にとっては神盤としかいいようがない。どこをどう切り取っても好きな曲ばかりだ。すべてを語りだすと高橋ジョージさんのロードみたいにいつまでたっても終わらなくなってしまうので、今回はこれぐらいに留めておく。

稚稿「大江千里さんとみさっちゃん」に書いた一文

そのなかで言及した「1234」への思いは変わらない。これほど訴求力のある良曲ばかりが、アルバムのなかで互いに強い主張をしすぎることなくバランスよく同居している、そういうアルバムも珍しい。

あえて調べずに書くからタイトルは間違っているかもしれないけれど、「たそがれに背を向けて」とか「A Moonlight Episode」とか 「January」とか「本降りになったら」とか… 千里さんが本格的に商業音楽としての快進撃を続ける以前の曲に、当時の私にとってすごく思い入れの深い曲がほんとうに数多くある。

千里さんが大ヒットしたあたりのタイミングでテレビからはベストテン番組が消えた。もし、TBSの「ザ・ベストテン」とかNTVの「ザ・トップテン」みたいなのがまだ続いていたとしたら、千里さんはまちがいなくそういう番組から引っ張りだこだっただろう。そういう時代と少しずれてくれたことは、リスナーであった私にとってはどこかありがたかった。

あの記事はリアルタイムで触れた者への
「答え合わせ」であり、「置き土産」でもあるのかと


千里さんはたしかにジャズの世界へと旅立った。

だけど、ポップシーンにお住まいだったころをとても大事にしてくださっていることが嬉しい。千里さんの音楽というものは、私の青春時代のひとつでもある。この時代をそれこそ黒歴史として語られてしまったら、たまったものではない(笑)。

当時は耳コピで、千里さんのいろんな楽曲をピアノで弾いた。歌うことは苦手だったので、頭の中で歌いながらピアノを弾くのだけど、それが当時の私の楽しみだった。メロディーはあれほどスムーズなのに、ピアノでコードを探していると意外な転調があったりするので苦労したっけ。

ポップなピアノを弾く腕がなかったので、私が弾くことのできる千里さんの曲のレパートリーは静かな楽曲が中心だった。モスクワのセスナが出てくる「帰郷」も、も「消えゆく想い」も、カヴァー曲として掘り起こされることになった「Rain」も当時の私の弾くことができたレパートリーの中にあった。というか「Rain」は自分でバラード調にして鍵盤上でコードを追いかけてただけだったけどね。

ピアノで弾けるのはバラードだけではないということを知ったあのころ


まったく関係ない話になるけど、小室哲哉さんがピアノ1本でさりげなくみさっちゃんの「My Revolution」をラジオ番組で弾いたのを聴いたことがあった。
へえ…ピアノで演れちゃうんだ、って感じだった。左手でベース、右手でコードをベタ弾きしていただけだったのを、ちょっとばかりリズミカルに弾くってことを覚えたのがこのぐらいの時期だったんじゃないだろうか。ちなみに元々の私は、右手でメロディー、左手でコードという実にダサい弾き方をしていた(笑)。

小室さんのあれを聴いたあと、千里さんの曲でも私が弾けるレパートリーがちょっとだけ増えた。あれがきっかけで「カッコ悪いふられ方」も「GLORY DAYS」も弾くようになった。ただ、現在弾けるかどうかはわからない。もうずいぶん長いこと鍵盤に指をおとしていない。部屋にはくたびれた中古のCP50(ステージピアノ)があるけれど、2年ほど前にキーボードスタンドがなんの予兆もなく激しい音をたてて壊れてしまって以来ずっと遠ざかってしまっている。あれは金属疲労だったのか、はたまたAMAZONで安く買ったそれが不良品だったのか。

…ってか、ほとんど千里さんの記事に対する感想なんて書いてないじゃん(笑)


いや、ちゃんと拝読いたしました(きっぱり)。

10万何歳かの方との長電話ってくだりには飲んでいたアイスコーヒーを噴きそうになりましたし、何より60分に満たない時間の中にこれほどにも多くの想いとか魂とかこだわりとかが吹き込まれていたってことを知って、またいっそうの奥行きを持ってこのアルバムを楽しめるんではないかと思いました。まるで若いころに読んだ本を静かに読み返すかのような…そんな時間が持てるんじゃないかと。

はじめて聴く方にも若い方にも、アルバム「1234」は響くと思う。
このhiroyukiっていうおぢさんも、こういう曲でセンチメンタルになったりした時代を通ってここまできたんだ。昭和末期、平成初期にはこんな素敵な音楽があったってことをぜひ知ってほしい。

令和という実にシビアで、アーティストに優しくない時代を迎えてしまった。
もちろんリアルタイムの音楽にも触れてみたいけれど、やはりこの時代の音楽ってのはね…おじさんの青春の一ページでもあるんだ。

新しいクリエイターの登場にも期待したい。で、温故知新とでもいいましょうか、この時代の音楽も復権できるといいんだけどなと思っている。

長くなったけれど読んでくださってありがとう。またね。

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