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深夜ラジオのこと

いまや、何かが好きだという感覚が年々鈍ってきてしまっている。
ワクワクしない。昭和40年代生まれの私だからして、さすがにこの年齢にもなったら感覚は鈍ってくるだろ…って言われそうなんだけど、本当「好き」という感情に揺さぶられることなんて皆無ってふうになりつつある。もちろん趣味だってあるし好きな音楽もあるし好きなアーティストだっている。だけど、若いころはもっと魂が揺さぶられるような感じを伴ったとでもいえばいいのか…あのころの揺さぶられるような「好き」と現在のいかにも枯れたふうな「好き」とがまるでちがっている。すっかり淡々としたものに変わってしまっている(ただなぜか、怒りだけはほとんど鈍っていないことが不思議で仕方がない)。

たとえば、高校時代を中心にして深夜ラジオが大好きだった。
ギャグとかスケべな話とかで盛り上がっているような番組も好きだったし、悩みごとの葉書へ真摯に答えてくれるようなパーソナリティーさんの番組も好きだったし、当時流行していた音楽を次々と流してくれる番組も好きだった。ラジオがあまりにも好きすぎて、大学に進んで関東で暮らしはじめたころにもAMラジオで関西の放送局を探り当てていた(AMラジオの場合、夜になるとかなり遠方まで電波が届くようになるので、電波状態は良くないのだけれど関西の放送を聞くことができた)。いつまでこうやってラジオを楽しいって感じていられるんだろうな…と考えたふとした瞬間のことをなぜか覚えている。

それを思ったのはたしか、実家を離れてまだそれほど経っていないころ。小森まなみさんという方がやっていた「mamiのRADIかるコミュニケーション」という番組を聴いていたときだった。キー局は名古屋の東海ラジオだったはずで、関西では放送局が変わりながら数局でネットされていたけれど、なぜか東京では聴けないという不思議な番組だった。残念ながら社会人になって名古屋に住むようになって以後にはもう聴くことがなくなってしまったのだけど、リスナーイベントが名古屋中心で企画されることがあって、現在こそなじみが深いけれど当時はまったく知らなかった場所が話題にしばしば上っていたような薄い記憶がある。この番組はアニメファンがつどっていた。鉄オタだった私なのに、なぜかアニメのほうにはほとんどご縁がなかったのだけど…番組が楽しかったので愛聴していた。

当時もうひとつ頑張って電波を拾っていた番組といえば、笑福亭鶴瓶さんが放送作家の新野新さんとぐだぐだと喋り続ける「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」。なんとも形容しがたい実に不思議なトーク番組。まさに「知る人ぞ知る」存在で、この番組のリスナーは〝ぬかる民〟と呼ばれていた。こちらはラジオ大阪という放送局のみから発信されていた。日曜深夜の放送だったが、終了時間が早かったりめちゃくちゃ延長されたりという気まぐれさだった。どちらにせよこの番組が終了した直後に、放送局のコールサイン(JO何々というアルファべット4つだが忘れてしまった)が告げられて明朝の5時ごろまで停波という流れだった。まだ実家にいたころに一度だけ、かなり陰鬱でちょっと長めの文章を鶴瓶さんに読んでもらったはずだ。読んでもらったあとノーコメントのまま何かの音楽が流れた。読んだ葉書に何もコメントされないってのは、この番組ではわりとよくあるスタイルだったし、あまりコメントされてもこそばゆいような…そんなことを書いたような気がする。この番組も本当に好きだったのだ。

ただ、その肝心の「好き」という感覚自体が…もうすっかり思い出せない。
好きだったことには間違いないのだが、ただの史実みたいにしか脳にきざまれていないんだよなあ、これが。かつてティーンエイジャーか20歳をわずかにすぎたころの私は、まちがいなくこれらが「好き」だった。冒頭にも書いたとおりなにかワクワクするようなものをともなった感情だったはずだ。それは当時の私自身がはっきり自覚していたので。

ほかにも当時は、いろんな深夜放送があった。

たとえばKBS京都の「ハイヤング京都」の簑谷みのや雅彦(のちに苗字はひらがなになった)さん、あと別の曜日の寺島まゆみさん。両名とも歌手で、簑谷さんのほうは松山千春さんを彷彿させるシンガーソングライター(たしかご出身も北海道ではなかったかな)。寺島さんはにっかつポルノの「ポルノ界の聖子ちゃん」と呼ばれていた人だが、当時高校生だった私にはにっかつポルノの敷居はあまりにも高すぎたので映像のほうでは一度もお世話になったことがない。番組にしばしばアレンジャー・作曲家の瀬尾一三さんも出ておられたような記憶がある。

たとえば朝日放送ラジオのアナウンサーコンビ(大岩健一さんと楠淳生さん)のトーク。アナウンサーなのにこんなに楽しく話すんだ…と。毎週すごく楽しみにしていた。酒席で「不思議なピーチパイ」のサビを歌いながらお尻出す…なんてふうなネタを披露されたりしていた。バカだなあ(褒め言葉です)…すごく笑わせてもらった。声優の日高のり子さんがゲストで出演されたときの彼らの弾けっぷりがめちゃくちゃ楽しかったってのを覚えている。大岩さんはのちに長野のFM局に転職され、楠さんは高校野球の実況などで活躍されたはずだ。

たとえば同じく朝日放送の「ABCヤングリクエスト」だったり、毎日放送の「MBSヤングタウン」だったり。当時の友人がさだまさしさんのファンで、彼に紹介されて東京の文化放送の「セイヤング」を熱心に聴いていた時期もあった(お茶飲み話商科?大学ってコーナーありませんでしたっけ?)。とにかくいろんな放送局をはしごしながら、勉強しているふりでラジオばかり聴いていた。内向的なくせをして、DJになりたいと少し思っていた。親たちがあまりに息苦しすぎる家庭だったので、ひとりで部屋でラジオを聴いている時間がいっそう楽しい時間に感じられたのかもしれないなあ。

いまやラジコというサービスまであるらしいけれど、もうAMラジオなんて何年ご無沙汰しているんだろう。何年どころか、もう何十年もかもしれない。
現在のデスクワークのおともはもっぱらYouTubeである。
時代も変わったよ。みんなパラレルに年とってしまったよ。
みんな元気なのかなあ。

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