見出し画像

雑誌とかテレビとか新聞とか

 ♪ ぱぁ〜〜〜〜
 ン・チャ・チャ・チャ、チャンチャカチャッチャ
 チャンチャカチャッチャ、チャンチャカチャン
 ン・チャ・チャ・チャ、チャンチャカチャッチャ
 チャンチャカチャッチャ、チャンチャカチャン

♪  ン・チャン、チャラッ、チャ・ラッ・チャ 〜〜〜(パ・パ〜〜、パパ〜パ)
 ン・チャン、チャラッ、チャ・ラッ・チャ 〜〜〜(パ・パ〜〜、パパ〜パ)

 ン・チャ・チャ・チャ、チャンチャカチャッチャ
 チャンチャカチャッチャ、チャンチャカチャン ……

ドリフの「盆回り」(  https://youtu.be/2ur1bx12NTk?si=iU58VDVAqurJpk4w  ) 

いや、なんとなく口ずさみたくなっただけだ。
リアルに音の欲しい方は、上のURLからYouTubeへ行ってみてほしい。

ーーー

テレビの話。昭和のバラエティ番組ではコントの合間には、ひと呼吸置くかのようにゲストの歌(しかもバックは生演奏。ダン池田さんとか…)が間に入った。

たとえばこんな感じで…(歌はキャンディーズ)

おそらくはゲストの持ち歌のプロモーションって意味もあったのだろうけれど、案外あの〝間〟って重要だったんじゃないだろうか。

平成中期ぐらいからのバラエティー番組って、詰め込みすぎだなって感じがして仕方ないのだけど…ひょっすると、コントとかコーナーとかの間に〝歌〟がないってのもその理由のひとつかもしれないって、ふと思ったのだ。

いまどきのバラエティーって本当に〝間〟がないんだよ(私の文章もだが)。

見ていて疲れるし(というか最近はテレビ自体をほとんんど見ない)、芸人さんたちも出ずっぱりで場をつなぐことを余儀なくされていたり、オチの直前で寸止めしてCM…みたいなセコい手法がやたら多用されている。何より…字幕テロップ。視覚がやたらとストレスフルなのだ…こちらはネット動画に継承されているか。

コントとかコーナーとかの間の一曲。いまどきのバラエティーも、それやればいいのにって思う。ひょっとしたら音楽業界に体力がないから、番組に生歌を入れてもらうことが難しくなっているのかなあ。どこでもお金、お金だから。


音楽特番の規模はどんどん大きくなってるのにね


とはいえテレビの場合、えてして昭和から平成初期にかけての懐古番組に成り果ててしまっていて、なんだか痛々しさを感じてしまう。いまの時代、なにか懐かしい曲が聴きたくなったらみずからYouTubeにでも行くってふうだと思うけれど。

少なくとも私は完全にそう。いまはこの記事を書きながら、Reimy (麗美)っていうシンガーのこういうアルバムを聴いている。むかしはCDで持っていた。

アルバムとかアーティストの情報を得るには、当時なら「FMステーション」などの音楽雑誌に頼っていた。書店に足繁く通う必要があったし、値段もわりとお手頃だったと思う。「FMステーション」ってたしか200円台じゃなかったっけ?

いまだったら座ったままネットで検索してしまえばいい。Reimyさんに対する当時の知識ってせいぜい、ユーミン(松任谷由実さん)がプロデュースに関わってたかな…とか、このアルバムのフラッグシップ曲にあたる「青春のリグレット」がちょっとヒットしたよな…とか、Reimyさんってたしか沖縄出身だったよな…ぐらいのもの。声がとても印象的でちょっとアイドル的なかわいらしさも持ち合わせていた方だったけれど、80年代半ばでこの方の情報も途切らせてしまった。

時代はそれこそ40年も経ってしまっているけれど、情報収集は当時に比べればずっと平易になってしまった。40年を経た一見さん(もとい、一聴さんか…)の私でさえ、当時のディープなフリークさんに余裕で勝ててしまうだろうなってぐらいに。

ご本人に勝ってしまったアイドルフリークの方


フリークといえば思い出す人がいる。
簡単に見つかるだろうと高をくくっていたが、なかなか検索でヒットしなくて難儀して…ようやく探し当てた。

青木一郎さんという放送作家の方がいた。
嘉門達夫さんのラジオをよく聴いていたので、高校生のころはよく青木さんの名前を聞いた(嘉門さんの「ゆけ!ゆけ!川口浩」の共作詞者でもある)。

当時は、アイドルだった西村知美さんのファンということを売りにして活動されていた記憶がある。何よりインパクトがあったエピソードとしては(私自身はおそらくその番組を見ていないのだけど)、西村知美さんに関する知識を競うクイズで、当の青木さんが西村さんご本人に勝ってしまったとか。いや、おおむかしのWikipediaでエピソードのくだりを読んだだけなのかもしれない。

いまやトロリン(西村知美さん)に関する知識だって、いまや指先ひとつでいくらでも手に入ってしまう。ストーカーかい!ってツッコまれてもおかしくないぐらいの膨大な情報が(望めば)入手できてしまう。それが現代だ。

残念ながら青木さんは、2003年秋に(現在の私よりもいくぶん若い年齢で)お亡くなりになっておられる。ひょっとすると今日、それこそ訃報以来でこの人の名前を思い出したかもしれない。現在はWikipediaで検索しても、同姓同名の官僚さんしかヒットしない。ネット時代もずいぶん長くなってきたものだなって思う(とはいってもたかだか四半世紀なんだけど…)。

というか、青木さんとお知り合いの方には、この方の墓標をネット上に建てて差しあげてほしい。「青木一郎 西村知美」「青木一郎 トロリン」あたりの検索語でたどりつけて、彼のことを思い出し偲ぶことのできる墓標にあたる記事をネット上に置いてくださるとうれしい。

あまり関係なくて恐縮だけど…いちばん驚いたのは、当時の青木さんとおそらくほぼ同時期に放送作家として活躍された「チロリン」さんと呼ばれていた方が、現在のMBSラジオの社長だという。何これ?ってほどに驚いた。

当時はすごく〝雑誌〟を買ってたし読んでたなあ 
それに、CDも買ってたなあ


私が音楽に親しみはじめたころというのが、まさにレコード盤からCDへと音楽観賞用の媒体が変化を遂げた時期だった。当時の音楽の楽しみ方といえば、FMラジオの放送をそのままカセットテープに録音する〝エアチェック〟というやりかただった。アナログ信号で送られ、さらに録音された音楽の音質は劣化するので著作権のほうは大目に見てくれていた。事実上、エアチェックという手法は音楽文化の一端を支えていた。

FMラジオに関する趣味雑誌が花盛りでもあった。「FMファン」(共同通信社)、「週刊FM」(音楽之友社)、「FMレコパル」(小学館)、そして私が愛読していた「FMステーション」(ダイヤモンド社) — 4種類もあったのだ。

音楽に関する情報はもっぱら、ラジオと音楽情報誌から収集していた(ただ、当時ヒットチャート界隈を取り仕切っていたはずのオリコンは買ったことがない)。おこづかいは親からそれほどもらってなかったけれど、とにかく値段が安かったんだなと納得してしまった。あの分量、あの品質、さらにいえばダイヤモンド社という老舗書店の週刊刊行物で200円台って … 安かったなあ。
というかネット時代になって、モノの値段の判断がつかなくて心底困っている。


前回の記事で触れた〝ハデヘン〟だって、週刊ヤングジャンプ(集英社)で読んだ漫画でお目にかかったキャラクターだ。高見まこさんの「いとしのエリー」あたりから読み始めた。たぶん21世紀になってからは長らく読んでいないはずなのだけど、親元を離れた大学生ぐらいのころの数年にわたっては毎週欠かさず買っていた(親元にいたころは漫画は買ったり読んだりできない雰囲気だったので)。

ヤンジャンに関する思い出は、そのうち記事の中で棚卸ししてみたい。
好きだった漫画を羅列するだけで、当時の自分史みたいなものが作れそうだ。

なんでいまだに新聞なんかとってるんだろ?


現在は情報を、紙媒体ではなくネット上で取引するようになった。

ネット上のものは無料…ではなく、民放テレビと同じく広告を目にすることで代金をスポンサーに払ってもらっているだけなのだが、そのあたりは相変わらず錯覚を起こしてしまいやすい構造をしている。

そんな中でなぜか、いまだに新聞をとっている。

月に3000円しないと思っていたはずのものが…気がつけば月に3400円も払っている(朝刊のみ)。資源ごみとしての処分が実に面倒くさくて、すぐに部屋の片隅を古新聞が占有してしまう。やめればいいものの筆頭格なのだが、この地域の広告を読みたいがためにいまだにやめずにいる。
実にコスパの悪い〝惰性的支出〟ではある。そろそろ潮時かもしれないなあ。

いいなと思ったら応援しよう!