エイゴワカリマセーンどころではなくなってきて久しいが…
日本の経済界隈がこれほどにも衰退したり、物価がこれほどにも急激に上がってしまったりするとは夢にも思わなかった。さらに言えば、英語がこれほど急速に生活の中に入り込むことも。ネットが普及したら英語の文章を読む機会だって増えるだろうぐらいには予想していたが…まさかの深度だ。
インバウンドがらみってのならまだしも、ジモティー(地元人)しか乗ってないだろっていう電車の中でも、車掌さんが悪戦苦闘しながら英語のアナウンスをしている。所詮は〝形式〟でしかあるまい。会社が決めた〝形式〟に従わされている側からすれば滑稽な光景でしかない。老人しか乗ってない昼間の電車だったら、英語なんかより名古屋弁で案内した方がまだニーズにかなってるだろって思ったりもする ^^; 。ちなみに名古屋住みの会話は、タモさんが言ってたような「ミャアミャア」だらけなんかではないぞ(笑)。
先日乗った高速バスの運転手さんの英語は見事だった。名古屋と京都を3時間弱で結ぶ路線だからインバウンドのお客さんがそこそこいるのだけれど…笑いさえ織り込みながらの彼のやり取りを傍から見ていて「すごいなあ」と圧倒されてしまった。それほど若い人ではない。むしろ私の年齢に近そうに見受けられたけれど…ひょっとしたら前職では英語のコミュニケーションが必要な場所にいた人とかなのかもしれない。こういう人はどんな畑に身を置いてもエレガントに仕事をやってのけるんだろうな。
今朝は泊まり仕事なので、朝食はマクドナルドのお世話になった。
少なくとも還暦はとっくに超えてるかな…ってふうないつもの方が毎週働いておられる。で、その方が実にキビキビしていらっしゃるんだよなあ。
彼もそうだ。外国人のお客さんに対して、これまた実に流暢な英語でやり取りをしている場面を何ヶ月か前に目にしてしまったのだ。この方こそリタイア前は一目置かれる優秀な方としてビジネスマンをやってたのではないか…そう勝手に想像している。
日本人の英語コンプレックスは…などと言われるけれど、別に誰も彼もが英語を得意にならなくたっていいんじゃないの? むしろ日本がインバウンドさんたちに媚びすぎているんだよ — というのは私がもっと力をつけなければならないからってふうになるからであって、実際それどころではなくなりつつある空気を感じている。
10問正解して、さあ、ハワイへ行きましょう!
このフレーズにピンとくる方は私と同年代にちがいない(笑)。
私の年代より何まわりか上ってふうだけど… ♪ 晴ァ〜れた空ァ〜、そ〜よぐ風ェ〜 ♪ から始まる「憧れのハワイ航路」なんていう歌謡曲もあった。
かつてのハワイは日本人だらけだったという。そんなハワイも現在は、日本からの渡航者は半減したという。
当時のハワイでは日本語が普通に通じたという話を聞いたものだが、やはり海外のお客様は神様なのだと思う。日本人どうしでは「お客様は神様なんかではない!」などと内輪揉めしてばかりだけど、外貨を落としてくれる海外からのお客様は間違いなく神様だろう。
当時のハワイに住む人たちから見た日本人なんてさぞかし滑稽だったことだろう。おそらくそれに近い眼差しでいま、西欧や中国などからのお客様を私たちは迎えているのだと思う。これほど生活に英語が入ってくるとなると、やはりどうにかしておかなくては老後に影響するかもしれない。
上達のコツは、臆せず使うこと…のはず
私の英語力は…実に拙い。
そんな拙い英語力のくせに、30歳前後のころにひとりで韓国に行ったことがある。当時はネットの通信手段もモデム(電話回線を経てFAXのようなガーガー唸るアナログ音を通じてデーターをやり取りしていた)だった。国際電話で初日のホテルを予約して、あとは翌日のホテルを現地で電話予約すると行ったふうにしておそらく3泊4日ぐらいで出かけた即席バックパッカー。うっかりちょっとだけ高級なホテルに泊まってしまったときは、フロントが流暢な英語を繰り出してきて参った(たぶん私を挫くための確信犯だったにちがいない)。水まわりに漏れのあるぐらいの安ホテルの方がむしろ安心できた。当時は10ウォン=1円ぐらいのレートだったので円を10倍した数字がウォンだったのだが、うっかり日本円の数字でホテルのフロントにお金を出してしまい、すごい形相で睨まれてしまったこともあった(苦笑)。
ちょっとノスタル爺に浸ってしまった。
いまはもうそういうバイタリティーがない…と言いたいところだけど、実はポケトークみたいなのがあったり(まだ所有したことがない)、ネットでホテルが取れたりするのだから、当時よりはずっと海外旅行の敷居は低いだろう。とはいえ家内と一緒に…というのであれば、さすがに私の個人的趣味で動き回るバックパッカー旅なんてイヤだと言うに決まっている。
くだんの旅行なんて、まだ韓流ブームなんて迎えていないころのことだ。テレビをつけても日本語なんて喋ってくれなかった(ただポケモンが放映されていた)。街中もハングル一色だった(ロッテリアばかりで飯食ってたなあ…当時はポケモンのキャンペーンをやっていて、トレイに敷かれたチラシのハングルを音読みするとちゃんと「ピカチュウ」だった)。
ハングルはかろうじて音読みできる程度。語彙を身につけるには時間が足りなかった。そんなわけでコミュニケーションはやはり英語ばかりになった。おそらく英検3級だって怪しいのではないかというレベルなのに、帰国時のやり取りでは無意識のまま英語で返事してしまっていた。あのときに、英語ってのはこうやって上達していくものなんだなと心底感じた。
日本語が使えない環境に身を置くことこそが、上達の早道だということだけは間違いない。家内を置いたまま海外へというわけにはいかないから、いまとなってはもう叶わぬことだ(というか言い訳でしかないのだけどね)。
英語を苦手にしている優秀な受験生
私はティーンエイジャーに理系教科を教えることで生活している。
進学校に身を置いて、数学では十分に優秀な成績をおさめているのに、英語の成績がボロボロっていう学生は少なくない。最近の大学受験英語はひどく癖がある。日本語での速読でさえ怪しいのに…最近の英語の入試問題はまるでボキャブラリーを備えないままでの「速読力」を強要しているかのようだ。速読しようとすればするほど丁寧に読めなくなる。ボキャブラリーを地道に身につけるより、ザッピング読みで意味を無理やり捉えようとする悪いくせがつく(これは日本語の文章を速読するという場面にも言えることだと感じている)。勉強すればするほど成績が下がるって状況は不毛だ。
少なくとも入試に関しては、当時からすでに「実戦的な英語ではない」と揶揄こそされていたものの…文法重視の英語のほうがずっと良かった気がしている。センスで解決せざるを得ないものほど心の折れる〝勉強〟なんて他に無い。モチベーションと努力である程度解決する成功体験というのは必要だと感じているし、そういう意味では私の時代の受験勉強というのはまだ恵まれていたなあ。現在の入試制度のもとであれば、私は英語の4技能をクリアする自信なんてこれっぽちもない。
ある学生が模試の成績表を見せてくれたのだが、英語だけがひどすぎた。
ただ…英語に関してはもはやアドバイスの仕方さえわからない。
ひとむかし前だったら、問題集を決めて文法力をつけなさいというので良かった。テキストに載っている単語だけは覚えてしまえ-ってふうな強引なアドバイスでもそれなりの語彙力はつき、少なくとも暗記することのスキルのきっかけぐらいにはなったと思うのだ。
いまどきの受験英語ってのは、何に対してどう努力すればいいのかという意味であまりにも悩ましすぎる。とにかく場数をこなせというアドバイスも…どこか青天井に時間をかけなさいと言っているかのようで、どこか無責任にモノを言ってるような気分になってしまうのだ。せめて大学受験ぐらいは、努力と真面目さだけで成果に結びつくってふうにしてもらいたいよなあ。ただし、東大をはじめとする旧帝だけはセンスという要素が入ってもいいのかもしれない。私のような凡人には手に届かない領域ってのも、人生には必要な成分だと感じている。