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借金ってのはしんどいものだが…
かつての私はおそらく借金(とりわけ消費者金融)に対してはどこか悪いこと、あるいは後ろめたいことのように感じていた。いや、いまだって十分にそう感じてしまう。そのくせ住宅を手に入れるためにそれこそ1千万円を超えるローンを組むというのが、昭和末期には当たり前のこととしてまかり通っていたのにね(こちらは借金ではなく「融資」と呼ばれるけれど…結局は同じことだろと)。
親世代からは、それが甲斐性だとさえいわれたわけだし。
私自身もいまだ住宅ローンを払い続けている身だが…中古物件で30年ローン。支払い自体はそれほど負担でなく、手元のお金に余裕のあったころには繰り上げ返済も何度かやっている。そんなわけでまもなく完済。管理費のほうがむしろ高いぐらいだ(中古物件はむしろ修繕が煩雑に入るから管理費とか、さらには建て替えの話が出たときにどうするのかのほうが大事になるかもしれない)。
今回はコロナ禍と、主に家計を支えていた就業先とのトラブルなどが重なった。
さらには兼業するにも(年齢面がネックになってだと思うが)以前なら応募すればたいていどこでも働かせてくれていたのが、まるでウソのようにどこからも断られてしまう事態となり…貯金なんてすぐに溶けてしまって借金生活。はじめは個人年金の低金利での貸付金枠内でやっていたが、どんどん手詰まりになってやむを得ず消費者金融のカードを作った。
どんなにカードがお手軽に作れようとも…やはり年利10%超なんかで借りるべきではない。給料日ごとに相殺する生活を続けていたが、ここにきての物価高もろもろでとどめを刺された格好。前年度の収入も厳しかったところに就業先の事業規模縮小のあおりを受けて、今年に入ってさらに就業機会が減ってしまった。
そんな中でようやく兼業先が決まったのはよかったけれど、時給はメインで働いている場所の4割ぐらい — あまりスキルを安売りしたくなかったのだが、条件を選り好み続けてじっとしていることが辛くなったのでそれでやっている。仕事があって誰かの役に立つことができるってだけでも十分にありがたい。ただ…その兼業の収入が、現状月に2万円にも満たないってのはどうにかならんかなあ。時給を上げる以前に、まず就業機会を作ってほしいが…顧客を集めること自体が難しい時代だからそこは軽々しく不平不満を抱いてしまわないよう気をつけようと思う。
「貰いで生活する」発想で十分やっていけたあのころ
すごく乱暴にいえば、経営者というのは元手を膨らませていく人種。そして被雇用者というのは貰いで回していく(生活していく)人種である。かつての時代、一般的なサラリーマンが銀行に預金したときの利息は悪くなかった。私はバブル期に新卒で会社に入っている(不本意ながら3年弱で辞めている)のだけど、たしか財形貯蓄の金利は驚くなかれ…たしか年利5%近くあった(それ覚え違いではないんだろうか?)。
そうでなくとも、市中の銀行口座への「ささやかな預金」でも十分だったはず。500万円が口座にあれば、年利3%下で年間15万円が何もせずして生まれる。庶民は株なんてやらなくたって全然大丈夫 — だったわけだ。
びっくりだが…こういう時代がわずか四半世紀前に現実に「あった」のだ。
そういう生活が当たり前だったころの親から育てられているのだから…そりゃあ親の言いなりの価値観を持ち続けたなら本当にえらいことになるってば。
貰いで生活していても、ちょっとでもプラスがあったなら確実に積もっていた。私自身〝破綻〟前までの四半世紀あまりにわたって、コンスタントに何百万円かの貯金が手元にあったからなあ。
そこへ悪いことが起こると、財産は一気に吹き飛ぶ。吹き飛ぶ以上は、小金持ちだろうが中流だろうが関係ねえぞ … なんてふうに口の悪い同僚どうしで笑い合っていたが、その〝悪いこと〟が現実に私に降りかかってきて久しい。
転落の発端となったハラスメントと会社からの追い出し、あれはかれこれもう10年近く前になってしまう。傷病手当金を2ヶ月だけ受け取ったものの、やはり働きたいという気持ちが強く鬱の診断がおりたまま別の会社で働きつづけてしまった(おバカなことに…ムリしてそこで働いて手にしたお金よりも、寝てもらえたはずの傷病手当金のほうが倍ほど高かったんだよな、ほんとアホですけど心ってこういうものだと思う)わけだが、その就労現場こそが雇用保険未加入だった恨むべき会社だったわけ。ハローワークに調査をお願いしたが、ギリギリのところで加入要件を免れているという回答だった — 残業も含めれば相当な時間の仕事をやっていたがこれ、仕事が好きだという実に無邪気な理由でやっちまった奉仕残業。前の会社への当てつけみたいにワーカホリックに陥っていたがゆえにやらかしたことなのだ。
なんてこった〜。私自身のバカさ加減は目も当てられない ^^; 。
経営者にとっての借金、被雇用者にとっての借金
さっき、経営者は元手を膨らませていく人種で、被雇用者は貰いで生き存えていく人種だと書いた。さらに「貰いで生き存える」という発想でも十分にやっていけたのが昭和末期から平成初期にかけてのことなんだ…とも。
いまの時代、貰いで生き存えるというスタンスではもはや生きていけない(あれほどリスキーなNISAなんかを国が勧めたりなんかするわけよ)。昭和世代の両親が言う通りに生きていては無理な状況を迎えている。かつての職場は人間味あるチームプレイの場だったかもしれないが、現在の職場はそうではなく、もはや被雇用者からさえもいろんなものを搾取しながら、会社としての利益を膨らませているようにさえ見えてしまう。
私のように「好きなこと」を持っていて、かつそれで食っている若い人は、独立して起業ということを視野に入れておいたほうがいい。起業するには、ただ好きなことに没頭しているだけでは太刀打ちできず、経営や経済・税金に関する知識が必須になる。好きなことに長けるだけでは生きていけない時代になった(仮に好きなことだけやっていたとしたら、あらゆる方面からいいように搾取されて四面楚歌になってしまう)ってことだ。向き・不向きの問題ではなくなりつつある。
今回借金から一旦(完全にではないが)解放されてみて思ったのだが、〝起業家マインド〟で生きる人だったなら、借金で心を病みかけるなんてふうなことはないのではないかと。この規模の借金を恐れて策をうったわけだが…これ私が〝被雇用者マインド〟であるがゆえのヘタレな感じ方なのかもしれない。起業家マインドでいえば借金の額って、ひょっとするとその人のハクみたいなものだったりするのか?
ある者は別の消費者金融のカードを作って凌ぐかもしれない。ある者は「りりちゃん」や振り込み詐欺師みたいに…とはいかなくても別の誰かから、たやすくお金を調達してしまうかもしれない(ありがちなのは親兄弟、あるいは親戚から無心してもらう方法)。有名YouTuber界隈でよく見かけるけど、経営者マインドの人たちどうしで資金を融通するってのは案外カジュアルな感覚だったりして。
とにかく思ったのは…経営者にとっての〝借金観〟と、雇用されながら生きる者の〝借金観〟には大きな違いがありそうだ、ということだ。
だけど…だったらなんで誰も彼もが経営者マインドにならなくてはならないのか?
多様性多様性といいながら、経済面でいえばいまの日本というのは明らかに「経営者ファースト」だと思う。私のような「昭和の両親から金銭感覚の洗脳を受けてしまった豆腐メンタル」には、いったいどう立ち回ればいいのやら…ましてや私ときたらすでにこの年齢(アラフィフとアラカンのあいだです)。
世代ごとの価値観なんてものは〝無常〟なのだよ
いまだにそれほどの進展も希望も見られない。
このまま私自身の時給をどんどん減らしながら仕事を増やすと、まちがいなく疲弊してしまう。ワーカホリックだった時代がウソみたいに現在の私は、疲れやすい体質になってしまっている。気力が出ないってのが一番もどかしい。テストステロンが枯渇しているみたいだ。
諦めの境地へと自分自身を洗脳しようと試みるけれど、諦めという発想は終わりというものを放棄してしまっているところがある。やはり「立つ鳥跡を濁さず」という美しい言葉どおりに、私の人生を締めくくりたいとは思うのだ。
まだまだ戦いは続く。入院保険や生命保険などのオプションがついた個人年金の解約に至ってしまったわけで、しばらくは病気にもなれないし死ぬこともできない(笑)。いい荒療治だったよ、と後から笑えるように生きたいものだな。
台風がこうもウロウロしているものだから…結局、せっかくの月末なのにキモチは「夏をあきらめて」といったふうだ(研ナオコさんのアンニュイな歌声が聴きたくなった)。青春18きっぷもまだ2回ぶん残ってしまっているなあ。期限は…9月10日まであるか。
まだ世紀末なんかではない。じたばたするな、自分よ。