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消しゴムマジックで消した写真は写〝真〟なんかではないと思うのだが

Adobe社の製品というのは、デザイン系の仕事には絶対に欠かせないツールである。私自身もLightroomというソフトを所有し、趣味の写真のためにPhotoshopとLightroomが使えるサブスクプランに入っている。さらには、これまで力業で無理やり使っていたPhotoshopをもっと正統派的な方法で使いこなし、できれば兼業としてこれを使って稼ぎを生み出すことを目標に…と考えて、Adobe社が期間と募集人数を限定しておこなう講座を受講して春先に修了した。

ただ、この講座を修了したから何かの仕事にありつけるだとか、何かの仕事を得るきっかけになるというわけではない。終了後、一時はランサーズというクラウドソーシングのプラットホーム上で仕事を探そうとしたが、初心者が参入するにはあまりにも障壁が多すぎて嫌になってやめてしまった。


おそらく私がnoteで色々書き始めるちょっと前のことだと思うのだが、Adobe Stockというフォトストックサービスに何枚かの写真を応募したことがある。

返ってきたのは「あなたの作品は我々が望んでいるクオリティに達していません」という不合格通知だった。まあそれはいいのだが、果たして何がどう悪かったのか。高い機材を使えというのか、それとも技量を備えればカバーできる部分なのか、それすらわからない。
そんな状態で「弊社のサービスは高クオリティーの写真ばかりです」みたいなドヤ顔(不合格通知のメールにそういう自己PRめいた文言が入っていたと記憶している。自動送信のくせに)をされても、考えれば考えるほど腹が立つばかりなのだ。そういうわけで…一気にモチベーションを失ってしまった。

でもさすがに「もうAdobe製品は買わない!」というわけにはいかない。写真の明るさや色味の調整などはこの会社の製品にお世話になることの一択だ。そんなわけで現在もLightroomやPhotoshopは頻繁に使うし、最近話題の生成AIもごくたまに使うことがある。


なにかにつけ、この手の断られ方が多いんだよなあ。
「あなたの出来が悪い」と面と向かって言われてしまうことは決して楽しいことなんかではない。ただ、これだけは言っておきたい。どう出来が悪いのかぐらいは教えてくれ。あなた方のサービスが極めてスキルの高い集団ばかりだから…などという余計な一言はいらない。キミには作ることは無理だから、だまって我々が売ってるサービスを買うお客さんになりなさいと言われているような気分になってしまうのだ。

少なくともストックフォトに関しては一切使いたくないと思っている。
そのあたりは…私もかなりの頑固者だ。


写真とは現実の景色を、光学的に(つまりテクノロジーによって)紙にトレースすることを通じて得られる生産物だ。ただ色というのは感覚であるから、表現したいものと「こうあるべきもの」とが同じとは限らない(商業目的の場合は明らかに別だけど)。濃い青だと思っていた被写体を撮影前によく観察してみるとむしろ紫に近い色合いだったりする。かといってそれを忠実に紫色で紙の上に表現すると、おかしな作品ってふうになってしまう。こういう場合は「カメラがこうだと言ったものをひとまず正しいってことにしよう」というところから始めるしかない。感覚というのはある程度共有されているべきで、その土俵に立って初めて良し悪しを語る…というふうだと思っている。いまの時代であればピカソはもうピカソになれないかもしれない。

何かの対象を撮りたいと思うとき、邪魔者がついてくるというのは現実にあるものだ。商業用途の物撮りなんかではないのだから。写真を写真として取り組む以上は、ノイズも真実として受容したいというのが私の考え方の中にはある。画質を損ねる部分(ノイズとか白飛びなど)に関しては少しでも和らげるためのテクノロジーの助けを借りたいと思うが、モチーフの被写体まで変えてしまうことは好きではない。

Adobe社は商業目的のツールを振りかざしてお節介を焼いてくるわけだからして、だったら趣味で撮っている私は、そのお節介に対してYesと言ってもいいしNoと言っても構わないのだと思っている。

なんだか、この手の噛み合わせの悪さばかりに遭遇している。写真に関する話ばかりではなく、それこそ本業のこなし方に関しても。このことを深く考えるにはエネルギーが必要なので、仕事の合間という時間を使って書いている現在はあまり考えたくない(やらなければならない本来の仕事が荒れてしまってはどうしようも無い)。

いい写真というのは、撮影者の個性が出る写真なんかではなく、有名な撮影地で有名な構図で撮った写真だというのはよく言われることだ。だから有名な撮影地にありえない数の人が押し寄せたりする。
私はできればひとりきりで静かに撮りたいと考えてしまう。そこが趣味とビジネスの決定的に相容れない部分なんだろうな。そしてビジネスが善で、趣味的活動が悪などといったカーストはない。

ビジネスとか野心とかが入ってくると私のやっていることは「そんな無意味なことして何が楽しいの?」といった種類のことらしい。余計なお世話だ。


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