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〝譲ってしまいがち〟な私ができるまで

アイキャッチ画像にはダチョウ倶楽部さんのLINEスタンプ画像をお借りしました( https://store.line.me/stickershop/product/8600/ja )。
竜ちゃんがいなくなってもう2年半になるんだね…。

相手にごり押したり怒鳴られたとき、口の中でもごもごと(つまりは相手にはっきり聞こえないように)独り言のように不満をつぶやかずにいられないような人がいる。というか、それ多分私のことです(苦笑)。

父親は相手にわがままを押し通してばかりの人だったし、とにかく言いたい放題だったし、モラルも欠如していた。そしていまだに変わってはいない。
家族の中にいると、身近な他人(親族とか同僚とかご近所さんとか)への悪口が多かった。「あいつアホやで」「おもろい奴っちゃなぁ(滑稽なとか面倒くさいといった意味なのだろう)」—このフレーズはそれこそ、いまでも声色やイントネーションまで忠実に頭の中で再現できるぐらいだ。

幼少の時の私は、父親がバカにして貶す人間像こそが私自身であるんだけどな…という自覚がしんどすぎた。自信をくじかれてばかりだった。

他人から好かれたいというよりは、喧嘩したくないとか馬鹿にされたくないといった気持ちが人一倍強いのだが、ことあるごとに母親はそんな私に「あんたはプライドが高すぎて難しい」と言ったものだけど…それ真逆なんですよと。

つまり私は両親の両方から、彼らに異議を唱えることを許されないまま「ありのままの彼らを受容する」ことを幼少の頃から求められたわけだ。おそらく私の頭の中ではこれでもかというほどのコンフリクトがあったのだと思うし、実際にチックという症状(不自然なまばたきが多かったみたいで小学生の頃、眼科に連れて行かれたことがある)が現れたり、さまざまな強迫観念や恐怖症といったものを経験してきた(ことごとく「気のせい」「そのうち治る」みたいな言葉でうやむやにされた)。常に緊張ばかりしてしまっている子供時代だったわけだ。

人目に対しては少なくとも人三倍ほどは敏感で、親や身近な大人たちのご機嫌取りみたいな言葉を探し当てることの達人だった。私は自分の気持ちを見せないことを「奥ゆかしいこと」だと躾けられたが、おそらくは私の気持ちというのはあった。何より彼ら自身は何ひとつそんな奥ゆかしい生き方なんかしていなかったわけだが。

そういう境遇の中で大人になったわけだが…恐ろしいのは洗脳なのか人情のほうなのかわからないのだけど、親たちを憎み切ることはできていない。というか、あれだけ私を強く支配していた両親が加齢のために(二人ともとうに80歳を超えている)すっかり弱り果ててしまったことに呆然としている。彼らがいまだになお気力体力ともに充実して、かつ自立した生活を任し切れるぐらいのコンディションだったら何も臆することなく啖呵を切って縁を切ったと思う。

父親と罵倒しあったのは人生1度きり。父親が事後報告で実家を売ってしまった、あの家での最後の正月だった。すでに認知症が進行している中、台所仕事を無理強いしていたのだが、皿を落としたのか大きな音を立てたときに怒鳴って罵倒したのだ。母親はオロオロと狼狽するわけだが…いまはこういうふうに感情を振り回してストレスを増やすのは悪いことに決まっている。堪忍袋の鼻緒が切れて「優しくしてやれよ!」と父親を怒鳴りつけた。
正直にいえば、そこで私の胸ぐらを掴むぐらいのことをやってくれたらまだ良かったのだと思うが、私への抵抗はあまりにも情けない言葉の連発だった。「親に対してどんな口訊いとるんや!」— ことの本質以前にヒエラルキーという形式に縋るばかりの老父。これまでは恫喝すれば私は引き下がっていたのだ。
母親が号泣しながら「もうやめて!」「私が悪いんだからやめて!」と喚き続けた。しょっちゅう父親の横暴ぶりや意地悪さに対して悪口ばかり言ってたのだから、ここは「もっとやれ! もっとやれ!」と私を応援すべきだったのに(笑)。

その喧嘩が長い人生のなか…たった一度。
今度の正月であれから3度目になるのか…。なんだかなあ。

いや…あざといというわけではないのだろうけど、最近は父親もいくらかしおらしい態度を見せることがある。母親は認知症(もう軽症ってふうではないと思う)だから追い詰めることは無意味だ。それでも父親は母親をいじめたり詰ったり怒鳴ったりするのだが。

そんなふうで私はどうしても他人をつい許してしまうことが多いが、社会生活の中でそういう私の心性を利用されてしまうことが度重なった。基本的には自立している人間に関しては、ただ図々しいだけだと思うので一生許さないことにしている(というかそういう人間がもはや、私のパーソナルスペースに現れることはない)。

生きれば生きるほど許せない人間が増えていく…という事態はさすがにしんどい。こればかりはすべてが他人のせいというのではなく、私が自分の成熟を怠っているからというふうに思ったほうがいいんだろうなとも感じている。

毒親問題について記事中で、専門的に教えてくださっているノゾム先生の記事を読んであれこれ考えていた(広く発信されておられる方です由、無断でリンクさせていただいています。ごめんなさい)。

自分軸というものを棚上げにしてしまって、自分が優しくお人好しな人間であるといった言い訳に逃げてしまうことが多いというのがまさに図星すぎて。勉強になっております ^^; 。

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