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ファシリテーターとカタリストの狭間を選ぶ私でいたい

おはようございます。

noteって、最初の100記事を書いたら最初の山を越えるらしいですね。

今回の記事、私のアカウントの27記事目。まだまだです。でも、私にしてはよく続けられているほうだと思います。

ハンガリー出身の心理学者、ミハイ・チクセントミハイの提唱する「フロー状態」に入ったとき、私はnoteの記事を一つ完成させることができているように感じています。

つまり、これまでに27回のフロー体験ができている。

それって、なかなか捨てたもんじゃない。

ただ、フローに入るまでに、かなりの時間を要するのが難点です。効率化だけがすべてではありませんが、スイッチの切り替えをもっとスムーズにできるようトレーニングが必要だと感じています。

さて、ここからが本題です。今日は、私自身のファシリテータープロフィールをまとめます。


1.なぜ、私はこんなにファシリテーターにこだわっているのか

今私は、TABIPPOのファシリテーターゼミに参加しています。ここでの課題に取り組みながら、これから私はどんな仕事をしていきたいのかじっくり考える時間をいただきました。

実のところ、私にとって、ファシリテーターについて学ぶのはこれが初めてではありません。

ではなぜこんなにファシリテーターにこだわるのか。原体験を追求していくと、公立中学校の国語科講師からNPOの職員に転職した頃の記憶が蘇ってきました。


2009年4月。当時の私は市民活動の経験も浅く、慣れない環境になんとか順応しながら転職したばかりのNPOの仕事に取り組んでいました。

中学校教員あがりの私が初めに担当したのは、東京都立高校で必修科目となっている「奉仕」の授業でした。10カ所以上の都内の高校に、大学生ボランティアと一緒に足を運び、国際ボランティアの体験談のストーリーテリングや社会問題についてのワークショップを提供する活動でした。

自分とそこまで年齢の変わらない、熱心な学生ボランティアメンバーと、終電までミーティングの毎日。

刺激的、でも大変な仕事でした。

そこで少しずつ、ミーティングの時間が少なくなるように工夫をしてみることにしました。例えばこれまでプロジェクトごとに0から作り上げていたのを、少しでも時間短縮にするために大まかな骨子・原案を私が考えておくようにしていきました。

しかし、それではプロジェクトを自分事としてとらえられない、といった反応が目立つようになってしまいました。私の前任のスタッフの方が良かったと訴える学生さんも出てきました。


ある時、同郷で同期のスタッフから私のミーティングの進め方について指摘を受けたことがありました。

さーやちゃん、自分ばっかり喋ってるじゃん。

的を得た忠告に、ぐうの音も出ず座り込んでしまったように記憶しています。

科目の勉強と違い、社会問題を相手に取り組む市民活動には、先生は必要ありません。

現状を正確に把握するための語り手や、ともに活動したい仲間たちのアイデアを引き出し、重ね合わせてアクションプランを作り上げるために必要な技術こそファシリテーションなのでした。

そこから、実践と研究の日々が始まりました。


2.ファシリテーターとカタリスト

ところで、カタリストという役職のことをあなたは知っていますか?

カタリストとは、英語で触媒・促進を促すことを意味する単語です。

いくつかの組織で、自分のことをカタリストと称したり、ある役割をもつメンバーをカタリストと呼んでいるのを見かけて、興味を持つようになりました。

あるコミュニティで、カタリストの役柄を実際に体験させていただいたことにより、私の理想のファシリテーター像が定まっていったように感じています。

<介入の度合>
司会者 > ファシリテーター > カタリスト

<方向性の示唆>
司会者 > ファシリテーター = カタリスト

<役割の全体性>
司会者 = ファシリテーター > カタリスト

<個性の出し方>
カタリスト > ファシリテーター > 司会者

<関わり方の時間軸>
カタリスト > ファシリテーター = 司会者


私の考えでは、場がうまくいっている時、主体的な学びを促すファシリテーターの出番は限りなく少なくなります。

「え?この人なぜここにいるの?」

と参加者が疑問に思うくらいのポジションで良いのではないかと。

そして、学びの場がまだまだ温まっていない時こそ、ファシリテーターの出番です。

極端な事例を出して、メンバーの想像を掻き立てたり、問いをデザインして口火を切るのを促したりします。


これに対し、カタリストは、普段の自分の在り方をそのまま反映させる役割を担います。

その場に対して責任を持つ、というよりは、「自分だったらこうする・こう話す」という主体的な実践をします。

それを見て、周囲のメンバーが安全安心の場だと感じたり、自分も何か発言してみようかなと考え始めたりします。

必ずしも働き掛けることをしない、というのがカタリストの面白さです。触発を必ず起こす役割は、司会者の権限だと思われます。

カタリストは、ありのままの自分でいながらも、その場に意識を置き続ける。そして、自分が主体的に学びながら、周囲にもそれを促すことを働きかけるのです。


3.私ができること


以下、コミュマネゼミの最終日に使用したプレゼンテーション資料です。

私に何ができるかを3分で話す、その課題のためにスライドを作成しました。

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「田舎」という表現に他意はなく、私は今稲田に囲まれて暮らしています。ご近所さんもすべて顔見知りの地域です。家の前の川には蛍が飛び、夕方18時にはあたり一帯が真っ暗になる、のどかなところです。

キャリアデザイン学修士では、学生のキャリア観の芽生えについて研究しました。自分自身のキャリアデザインにも余念がなく、現在はオンライン・オフラインの仕事を掛け持ちしています。

はじめて国際ボランティアに参加したのが2008年、2009年から2015年までは国際ボランティアを運営するNPOの職員を務めました。同団体で2011年から現在まで理事を務めていて、世界各国の仲間たちと地域課題に向き合っています。

パラレルで続けてきた司会業は、2003年からのキャリアになります。式典、イベント、花火大会のほか、九州北部のアミューズメントパークの専属司会や、結婚式、キャラクターショーなどの経験があります。

ファシリテーターとしては2009年以降自分なりに研究を重ね、ワークショップの企画やアイスブレイク・エナジャイザーを取り入れた双方向型の学びの機会を創出できるよう取り組んできました。自分自身の関心ごとの一つにエヴァリュエーションのバリエーションがあります。振り返り・総括をし、意味づけ・概念化させるところまでをファシリテーターが促すことのできる領域だと考えるからです。

そして、今は二児の母です。子育ては、ままならないこともありますが、幸せな毎日を過ごしています。夫の実家に同居しており、3世代での生活に挑戦の日々は続きます。


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また、こちらはコミュニティマネージャーについての私の考えです。

私は、このコミュニティマネージャーこそ、上記で説明したカタリストの一つの姿だと思っています。

コミュニティマネージャーとファシリテーターの役割は厳密には異なります。特に時間軸での関わり方が大きく異なるのですが、どちらにしても私は石垣型のチーム戦だと思っています。


おわりに

先日、仕事で関わっていた大学生のインターン生と話をしていて、わかったことがあります。

今の学生さんたちは、ファシリテーターのことを「ファシ」と略するのだそうです。

「『ファシリ』って『パシリ』みたいに聞こえますよね」

彼女らの感性を十分堪能した後、私はファシリテーターのことを今後は省略して呼ばないぞと決意しました。

以上、私のファシリテーターについての考えと、プロフィールについてでした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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