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エッセイ:父はニンジンがキライだったのか、ある日そんなことを知った

おはようございます。

部屋の中でも、吐いた息が白くみえる、そんな朝。

私よりもずっと寒がりの父のことを思い出します。


厳格だった父は、彼の兄妹からバンカラと呼ばれていました。

一緒に散歩をするとき彼は下駄をカランコロンと鳴らし、その音に幼い私の胸は高鳴りました。

私は長女だったので、特に父の子育てへの想いを受け止める役割を担っていたように思います。

特に忘れられないのは、夕餉の時間。

小学校に上る前から、食事作法の特訓が始まりました。

「ごちそうさましていいですか?」

魚の骨を父に見せても、なかなか合格が出ません。

「クッゾコの身がまだ残っとる」

九州では、舌平目のことをクチゾコと呼んでいて、煮付けは父の大好物。

網目状の薄い皮や、ヒレの脇に細く並ぶ身、そして見落としがちなのが頬肉。

食べ方を教えられながら覗いた父の皿には、芸術作品のように美しい骨だけが残されており、幼心に畏敬を覚えたものでした。


さて、そんな父の父、私の祖父も、食事マナーにはうるさい人でした。

筑後地方でうなぎといえば、せいろ蒸し。

タレをまぶして蒸し上げられた、茶色く甘いごはんの上に、うなぎの蒲焼が乗せられて、更にふっくら蒸されたもの。

祝いの席でいただく、お御馳走です。

せいろの底に敷かれたスノコには隙間が空いていて、私が食べるとごはん粒が引っかかって残ってしまいます。

ですが、祖父は、それはもう見事に一粒も余さず、せいろ蒸しを平らげてしまうのです。

思えばこれが、美しく食べる人に憧れる、私の原体験です。


さて、そんな家系の話をしましたが、最近すっかり落胆してしまう事実が判明しました。

あれだけ、食べ物はきれいに残さず、と私に教え込んでいた父にも、苦手な食べ物があったのです。

いつもジャガイモとお肉だけだった、実家のカレーの謎が解けた瞬間でもありました。

実家に帰省し、キッチンに立つ私に父は言い放ちます。

「ニンジンは好かんけん、入れんでね」


おお、父よ、あなたも人間だったのか。

おかげさまで、私は何でも食べますが。

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