2010年のインターネットを思い出してみた。
タイトルの通り2010年頃のインターネットについて書きたいと思います。
と言っても、
わたしはITジャーナリストでもなければ、
研究家でもない。
まとまって詳しく書いてるのを
読者としても読んだことがないので、
自分自分書いてみたい、
読んでみたいと思ったので、
1ユーザーとして書ける範囲内で、
思い出話を書ければと思います。
(曖昧な箇所は昔の記事などを調べらながら書いていますが、
記憶間違いなどあるかもしれません。
その際は生温かく見守りつつ、一笑に付して頂ければ有難いです)
そもそもなんで書きたいと思ったか。
下記の3つのニュースが流れて来たからです。
NHKで幸村誠さん原作のアニメ「ヴィンランド・サガ」が放送。
https://www6.nhk.or.jp/anime/program/detail.html?i=vinlandsaga
ドリームキャストとは何だったのか? 8人のゲームクリエイターが振り返る前後編のドキュメンタリーがYouTubeで公開中
https://s.famitsu.com/news/201907/08179267.html
はやぶさ2着陸成功世界初のミッションで
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190711/amp/k10011989761000.html
「ヴィンランド・サガ」
「ドリームキャスト」
「はやぶさ2」
普通どう考えても繋がらない
この3つ。
それらが重なっていたのが
わたしにとっての「2010年」でした。
順番に書いていきたいと思います。
95年以降にパソコンが一般化し、
2010年頃には、
パソコンの普及台数が頭打ちになるになってきました。
いわゆるガラケーの普及率も高く、
iPhone 4の登場でスマホ時代へと切り替わる節目だったと思います。
07年に初代iPhoneが発表されてはいましたが、
アップル愛好家や新しいもの好きの間では熱狂的に迎えられてはいましたが、
一般的にはまだまだ様子見だった。
通信環境もまだまだ弱い地域も多く、
ポケットWiFiも少しずつ普及していましたが、
サービスエリアなどは都市圏に限定されていました。
アプリやwebのスマホ対応などでも、
大手企業は積極的に関わる企業と距離を置くに分かれていて、
インストール可能だったアプリの多くは将来性を感じたベンチャー企業だったと思います。
今考えたると、
権利的にグレイゾーンというか限りなくアウトなアプリからガラケーでは出来なかったデザイン性や機能性などに優れたアプリいくつも有ったりと、
振れ幅がが激しい時期でした。
その中の1つが「twitter」だったと思います。
それまでは国内ではmixiが全盛期でしたが、
登録し頻繁にログインしていたのが、
mixi特有のクローズドな関係性に疲れる「mixi疲れ」なんて言葉も出てきてピークを迎えつつありました。
実際mixiのユーザー数やPV数のデータを見ると2010年をピークに下降し、
発表そのものがなくなっていきます。
2010年3月。
苦肉の策として、
mixiの象徴だった招待制が無くても登録可能を発表しますが、
他の様々なサービスが手ごたえなかったように 、
多くのユーザーは離れていったと思います。
「twitter」
サービス開始は2006年。
日本語対応したのが2008年。
iPhoneと同じく、
はじめはITに詳しい人などに限って
少しずつ広がってはいましたが、
一般化とは言えないぐらいでした。
(完全に一般化したのは2011年の震災後だと思います。)
メディアなど取り上げられる事はありましたが、
twitterのユーザーも含めてまだ使い方などは半信半疑で、
模索が続いていた。
iPhoneが本格的に広まるまでは、
ガラケーでtwitterを利用可能なサービス(モバツイ)などがありました。
mixiもガラケーからアクセス可能でしたが、
mixiとtwitterの両方を同時に利用するのはかなりわずらわしく、
iPhoneと同時に切り替えるきっかけになったと思います。
あとは、2000年頃から続いた
ブログブームもひと段落し、
(2005年に「ブログ」が流行語大賞に。)
ブログには、
HTMLなどの知識がなくても
日常生活から専門的なものまで幅広く書かれていてた。
1999年に開設された2ちゃんねるに代表される掲示板とブログが共存していた。
付け加えるとすると、
1996年ICQ、
1999年Msnメッセンジャー、
2004年skypeとテキストベースとの個人チャットが簡易に行われるなどの積み重ねが
気軽に書ける日常性を醸成していき惹かれてた人は多く、
わたしもその一人でした。
そんなタイミングに、
2010年6月FIFA南アフリカW杯が開催。
おそらくはSNSを通じて大きなスポーツイベントを楽しむきっかけになった大会だと思います。
2月にバンクーバの冬季五輪もありましたが、
W杯の方が圧倒的に盛り上がったと思います。
(筆者がサッカーが好きな事や
予選突破し日本代表が活躍した事など、
思い出補正はかなりあるとは思います。)
野球のWBCで日本が優勝した、2006.2009年は大きな盛り上がりはありましたが、
SNSの普及率は高くはなかった。
有名人や一般の人が興奮しながら入り混じるtwitterのタイムラインの光景は忘れられないです。
その中の一人が「飯野賢治」さんでした。
冒頭に紹介した「ドリームキャスト」に関わった人物の一人が、
飯野賢治さんでした。
「Dの食卓」や「エネミーゼロ」、「リアルサウンドシリーズ」など名作ゲームを作っただけでなく、
ラジオでパーソナリティを務めるなどメディアで積極的に発言する振る舞いは、
まだ若かった筆者には大きな影響を与えたと思います。
他のゲームクリエイターに比べても、
尖った発言が多く好き嫌いは分かれる人だったと思う。
彼自身がファンであるYMOや
様々なクリエイターとの交流は
刺激的であり羨望の眼差しで見ていた。
彼はW杯を実際に何回か見に行くほどのサッカー好きでした。
そんな彼がタイムラインに居て、
一緒にW杯を見ている。
そして、
リプライを送ると何度か返信が返ってくる。
なんだろうこれは。
サッカーの試合に興奮しているのか、
あの飯野賢治さんと交流をしているのに興奮しているのか、
よくわからない感情がそこにはあったと思います。
日常的になりつつあったSNSに、
特別なイベントと特別な人が共存している。
他の人にとってはどうかはわからないけれど、
わたしにとっては確実に特別な時間でした。
twitter及びインターネット空間には、
今ほどトゲトゲしい感じがなく、
牧歌的な空気の中に、
いろんな人が混じっていた。
その中の一人にも「石川雅之」先生も居ました。
石川雅之先生は、
「もやしもん」や「純潔のマリア」などで知られる漫画家さん。
わたしは読者として彼の作品が好きで読んでいました。
ある日、
彼がインターネットで作画を配信するとのニュースがtwitterに流れて来た。
最初なにをやるのかイマイチわからなかった。
当時はYouTubeの投稿は増えていたが、
リアルタイム放送はほとんどなかった。
ニコ生では生主と言われる人たちが誕生していたが、
今では停止されても仕方ないようなかなりカオスな状況。
配信向けのハードもソフトもまだ未整備で、
マナー・ルールなども明確にはなかった。
Ustreamは、
2009年にtwitterと連携可能になり、
2010年にソフトバンクが出資し日本語対応するなどする事で大きな注目を集めていた。
そんなUstreamで、
石川先生が配信を開始したのが5月。
twitter上などで大きな話題になり、
多くの漫画家さんが反応するなどありつつ、
わたしも見に行きました。
考えてみたら当然なのだが、
黙々と原稿を書き続ける配信。
原稿を書く音がひたすら聴きながら、
Ustreamにあったタイムラインやチャット機能を楽しむ。
今考えたらびっくりするくらい地味だが、
昭和の時代ほどではないが、
漫画家の作画は聖域のイメージが強く、
今でもそのイメージが残るほどに他者が入るには難しい場所を、
インターネット越しに見つめている。
カリカリカリと黙々と書き続けながらも、
時折ペンを止めて逡巡しつつ再開し、
ペンを変えたり消しゴムで消したり、
意外な場所にマッキーを使いタイムラインで大盛り。
何故かタイムライン上ではマッキーが大興奮でした笑。
石川先生がたまにカメラに向けて付箋を貼ってコメントをして、
タイムラインとコミュケーションをするのもとても楽しかったです。
時折タイムラインが荒らしが来て荒れるのをみんなでスルーするようになったり、
初見さんにも優しくするようになったりと、
少しずつルールが出来て行き、
一緒に参加できている感じがしました。
タイムライン上の人たちとは、
配信外のtwitter上でも交流を自然発生的にするようになり、
オフ会なんかも何度か開けるほどでした。
その中の人たちは、
学生、社会人、専業主婦、
フリーランスなど様々。
今現在はSNSを通じてオフ会をするのはよく見られますが、
その先駆けの1つだったと思います。
南アフリカW杯の頃には、
作画を終えて、
民族的な帽子をかぶって日本代表を応援するお茶目な石川先生の姿も見られて、
少しずつ視聴者との距離が縮まっていたと思う。
何度かの配信があり、
視聴者と石川先生のお互いが慣れてきて、
少しずつ日常的になってきたところで
幸村誠さんがゲストが来ることに。
もやしもん石川のUst作画配信に、幸村誠がゲスト出演
https://natalie.mu/comic/news/37773
「ヴィンランド・サガ」や
「プラテネス」などの作品で知られる漫画家さん。
石川先生とは同じ雑誌に掲載していた事などで親交があった。
当時担当編集者だった三村さんも加えた三人膝を交えてお酒を飲む姿を見るのはなんだかドキドキしました。
(たしかビールと日本酒を飲んでたと思います)
話の内容よりも、
憧れや尊敬の対象としての遠い漫画家としてよりも、
一人の男性としてそこに座り、
悩んだり楽しんだりと一喜一憂する姿がとても新鮮でした。
石川先生のパーソナリティもあると思いますが、
漫画家というのはかけ離れた場所にいるのではなくて、
自分たちの地続きにいるんだなとはじめて思えた瞬間だった気がします。
その他にUstreamで大きく盛り上がったのは、
2010年6月の「はやぶさ」が帰還時の中継だと思います。
はやぶさカプセルの帰還ライブ中継、和歌山大学がUstreamで実施
https://www.mdn.co.jp/di/newstopics/13658/
帰還の予定時間が、
日本時間22時頃とニュース番組が放送される時間帯ではあったがテレビの生中継はなく、
(筆者の記憶では。)
帰還する姿を見たいと国内外から数万人の人たちがUstreamに集まっていた。
いくつかミラーサイトなども作られたがそれでもサーバー負担が大き過ぎて、
サイト自身が落ちそうにもなるほどだった。
中継はオーストラリアの暗闇の中の荒野で行われ、
カメラがはやぶさを映して、
燃え尽きるまではほんの数分を
数万人で見ているなんとも不思議な切なさと興奮があった。
はやぶさはプロジェクトそのものが失敗の危機に陥るも、
奇跡的に生還したことから、
物語性を持ち擬人化されたりする事でより日本人好みのイベントになり、
タイムライン上で不思議なお祭りになっていたような気がします。
2010年12月、
宇多田ヒカルさんが活動休止される前最後のライブが横浜アリーナで行われ、
その模様がUstreamで中継された。
Ustreamの宇多田ヒカルライブ中継は、全世界で104万PV
-同社音楽イベントで過去最高。101の国/地域から視聴
https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/416123.html
国内の音楽ライブ中継で、
後にも先にもこれほど注目や実際としての数字としても大きいのは記憶にない。
twitterでの盛り上がり含めて、
少しずつインターネットの可能性を広げて行った2010年をひとつ象徴するようなライブだったと思う。
1995年のインターネットは、
ITに限らずに歴史の教科書に載るほど語り尽くされて来たけれど、
2010年も意外と大きかった気がします。
今回は思い出を辿りながら書いてたので、
ポジティブで印象的な場面が多かったが、
実際には問題点もたくさんあったと思うし、
今でもそれは課題としてあると思う。
東日本大地震があった
2011年以降、
さらに大きく変わっていく。
社会的変化と共に、
Twitterは一般化し、
タイムラインは年々と殺伐としていき、
牧歌的な空気が失われて、
収益化に苦しんでいると言われていたが広告収入などで近年は黒字化。
震災をきっかけにLINEが
サービススタートしたのも見逃せない。
実質的にmixiが退場し、
Facebookやinstagram などが台頭し安定期と言えるかもしれない。
Ustreamもスマホ対応などが遅れて収益化に失敗し、
サービスが消滅。
ニコ生が一時期の勢いがなくなり苦しむ中、
OPENRECなどが新たに参入し拡大する中で、
YouTubeはネット動画の地位を確立。
(各人物については割愛したいと思います。)
95年にWindows95が発売され、
当時にインターネットも普及。
2000年頃からADSLが普及し始めて、
それまではテキストや画像を貼るのが精一杯だったのが、
扱えるデータ容量が大きくなることで個人と個人のコミュケーションがより簡単になり、
動画配信などのように
個人対グループ(視聴者)のように非対称的なコミュケーションも増えて、
2010年にはその原型が出来ていて、
今でもその形そのものは変わらないと思う。
もちろん、
上記以外にもたくさんのサービスが登場しては消えていっただろう。
おそらくは、
ここ数年もしかしたら明日、
サービスとしてなくなるものもあるかもしれない。
わたしがポジティブに書いた箇所をネガティヴに書く人もいるだろうし、
逆もまたしかりだろう。
時代や時期、
その日によってさえ、
捉え方が相当ゆれると思います。
わたし自身も変わる可能性は大いにあると思います。
記憶や思い出が薄れる前に残しつつ、
あえて大きな結論などは導かないでおこうと思います。
数年後に、
あの頃のインターネットを、
そして今現在2019年のインターネットをどう見ているのか、
思いを馳せながら終わりたいと思います。
長い長い思い出話を最後までお読み頂きありがとうございました。
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