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言の葉譚<003> Let's Learn Englishとカムカム英語

英語の洪水

英語に絡む苦楽の八十六年、かうしてそれをほぼ身に付けてみると、吾輩はこれほど易しい言葉になぜあれ程四苦八苦したのかと戸惑ふのだ。勘違ひされては困るが、易しいとはわが母国語たる日本語の精緻さ、奥深さ、玄妙さと比べれば、と云ふ話だ。戦ひに敗れ、その負ひ目からアメリカに論(あげつら)う性を身に付けた日本人は、昨日まで敵性語だった英語の洪水に途惑う。学校では多くは急場の英語教師たち、そのほとんど話す能力は皆無の教師たちが教壇に立ち、生徒たちはThis is a pen.を呪文のやうに唱えた。英語とは難しいものだ、と皆さう思った。

洪水と書いたがそれは本当で、終戦直後の五、六年は巷に英語が溢れた。進駐軍放送(FEN)から流れるほぼ騒音に近い生英語、ポップ音楽、カード式の英会話セット、などなど。昭和十年生まれの吾輩はその時十五、六歳、音楽好きだったから英語をまず耳で捉えた。通学の往復で汽車に乗れば、連結器の向かう側、OFF LIMITで区切られた進駐軍専用車両を窺ってはGIの様子に目を配り、出入りする兵隊たちの会話に耳をそば立たせた。ある時、出会い頭にあるGIに〇〇駅はと突然に聞かれて、二つ先と云おうにも云へず、苦し紛れにnext next stationと口走った思ひ出が、今では懐かしい。

さて、本題に入らう。

このnext next stationの逸話は、思へば吾輩の86年の英語の旅の原点、言葉は体感して刷り込むに限ると云ふ原理を巧まずして知った瞬間だった。大雑把に云へば、その時に吾輩はアメリカ留学の思ひが芽生えた。言の葉と云ふ山を登るなら話し言葉を入り口にするがいい、ならば被地へ行ってみようじゃないか。いわば吾輩の傘寿に至るまでの四苦八苦の英語の旅の振り出しだ。この稿はその初っ端の経緯をご披露して、成る程さもありなんとの思ひをお持ちいただかうと云ふ企みだ。

Let's Learn English

先の大戦(吾輩には大東亜戦争と云ふ名称が実感だが)、これが終わって瞬きもせぬうちに学校の様子ががらりと様変はりした。豹変などと云ふ言葉ではとても間に合わぬ、動転とも天変とも云へるほどの変はりやうだった。先生たちの上から目線は消え、修身が消え、国史は「くにのあゆみ」になり、社会科と云ふ奇天烈な科目が生まれた。それ英語だと、俄かに動員された英語教師たちが持ち込んだ旧制中学時代の堅固な装丁のリーダーは早々に取り上げられ、薄っぺらな再生紙の英語教科書が配られた。今は伝説的な”Let's Learn English"だ。次世代の”Jack and Betty"まで、さう、一年余の僅かな命だったが、これを入り口に吾輩は英語の世界に歩み入った。
Let's Learn Englishは文部省著作、いつ誰が書いたか中々の逸話もので、本稿では紙幅に配慮して割愛するが、いずれ機会を得て書いてみたい。

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カムカム英語

さて、吾輩の英語の旅のもう一つの発端にカムカム英語がある。何と、この11月にはNHKの後期朝ドラ「カムカムエヴリバディー」が始まるとか。紛れもないあのカムカム英語だ。戦後半年ごろだったか、A5ほどの薄っぺらいテキスト付きで始まったこのラジオ番組は、吾輩を虜にした。アメリカ人と聞き紛う講師平川唯一は、二世と思いきや純綿の日本人、出稼ぎに行ってゐた父を追って1918年に16歳で渡米して辛苦、ワシントン大学を卒業した立志伝中の人だ。この人の話を続けては一片の語り物になるので割愛、そのカムカム英語に話を戻そう。

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番組は確か15分ほど、週ごとにエピソードを替えて卑近な話を会話体に仕上げた筋書きを反復、耳からテンポよく覚えさせやうと云ふ企画だった。童謡「証城寺の狸囃子」をテーマに英語のオープニングが人気を呼んだ。

"Come, come everbody,
How do you and how are you,
Won't you have some candy,
One and two and three, four ,five
Let's all sing 'n meet again,
Tintara ra ta ra"

日本と英語が巧みに入れ替わり立ち替わり、平川唯一のトークは聞く耳に効果的だった。テキストはあったが、吾輩は彼の日本語混じりの英語に惹かれた。ゆっくりして話す部分を生のテンポに戻すときの一言:

"Now, let's go back to natural speed again." 

が聞き取れるようになった満足感を今も懐かしく思ひ出す。

カムカム英語では、アメリカ生活の日常が様々に描写されて、生活語の多くを覚えた。何かのエピソードで、テリフォンポーと云ふ言葉を聞き咎め、それがtelephone pole.のことで電柱の英語だと知ってギョッとする。その縁で、後年エギスとはeggsのことなどと、英語の音声学を愉しむ素地ができた。

音楽好きでもあった吾輩は、カムカム英語を通して得も言われぬ「英語の音」の魅力に惹きつけられた。かうして吾輩の英語は、片やLet's Learn Englishでもう一方でカムカム英語で、互いに相互乗り入れの好循環で異色の成長を遂げた。まだ10代も若い頃の体験だから、それこそ日毎月毎に興味が深まり、高校(当時全国一、二位を競う進学校、県立浦和高校)へ入った頃には、日本の大学は眼中に無く、初っ端からアメリカ留学を目指して語学力の磨きに専念した。傍で日本語と歴史の造詣も忘れずに深めたことが、後年になって俗に二刀流と言われるバイリンガル性が高まった遠因になる。

状況を聞き知る

そもそも、言の葉は生活を活写してこそのツールだ。だからそれを手際よく覚えるには「状況を聞き知る」に限る。思ひ返せば、吾輩の英語の旅はLet's Learn Englishと「カムカム英語」を振り出しに、状況つまり使われた文脈をともに取り込むことに特化したと思ふ。母国語の日本語は世にも精緻な言語だ。ひだの多い表現を状況に応じて使ひ分ける才覚を工まずして身につけてゐる日本人には、ここまで語り来たった手立てで取り組めば、英語は極々易しい言葉だ。言の葉譚では、その辺りの機微を稿を重ねて語り継ぐ所存だ。

三つ子の魂何とやら、英語習得と云ふターゲットをニンジンに、こつこつと、耳聡(さと)く励んだ「ある男ありけり」とのノリで、この言の葉譚をお読み頂ければ、吾輩としては云ふことはない。


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