Wye Shimamura

傘寿半ば86歳でネットに蠢(うご)めくもの書きです。 英語書きでもあり、古色蒼然の文体…

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傘寿半ば86歳でネットに蠢(うご)めくもの書きです。 英語書きでもあり、古色蒼然の文体が妙に目立つのが、 面映(おもはゆ)くもあり気恥ずかしくある...。 よしなにお見知り置きを。

最近の記事

言の葉譚<013>英会話習得の奥義、鸚鵡返し

英会話習得の奥義、鸚鵡返し世にさまざま流布してゐる語学テキストの中には、これ一冊で万難解決とさえ豪語するものもあり、それを信じて求め一心に学んでみたが毛程の効果もないとも聞く。英会話修得の近道として、結構高いカセット(今はDVDかな?)のセットを薦められて買ひ、三月も試して、効果が感じられずに放り出した話も聞く。それぞれに所謂費用対効果、努力対効果が悪いエヴィデンスだ。終の住処は諦めの境地、英会話は習えるものじゃないと云ふ結論だ。 だが、果たしてさうだろうか。英語の会話を自

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    • 言の葉譚<番外編02>本来の仮名遣ひの魅力とは?

      仮名遣ひのはなし此処(note)に書くに至るまでに逡巡もあったのだが、程々の文字数を熟すについてはすでにHPでの経験もあり不安はなく、何と、仮名遣ひを如何すべきかで怯んだ記憶がある。だろうかだらうか、しましょうかしませうか、此処の読者に如何に斟酌すべきを決めかねたのだ。 しばしサイトを逍遙してかう思った。此処がネットには稀な書き手と読み手の巧みに織り混ぢる場所のやうであり、ネットに有り勝ちな浮薄な風が一向に感じられぬ。真面目にものが書ける場だ、と直感するや、仮名遣ひの如何が

      • 不問語り「もう、日が暮れるぞ」

           一中山道沿ひに、鄙には稀なあか抜けた珈琲店がある。アンバー色の外壁が映える店構え、T町珈琲と云ふ横浜風な店名も活きてか、パンデミックの間ながら人気が絶えることはない。 晩秋の北上尾、その日、ビートルズが流れる店内は疎らながら三々五々客が散って、一角に三十絡みの青年がひとり、ラップトップを操りながら入り口を気にする人待ち顔。程なく入り口に贔屓客らしい二人組、老人と介添の連れ合ひと思しき女性が入る。店員の何やら挨拶めいた言葉遣ひが聞こえる。青年は浮き腰に様子を伺ひ、それと

        • 言の葉譚<011>翻訳しながらつくづく思ひ知る、日本語の表現力

          お断りしておくが、この言の葉譚は英語習得のマニュアルなどではない。それならばネット上に無数にあり、長短あれど己れに似合った奴を選んで貰えばいい。ここはずばり、ある老爺の問わず語りの場だ。何の因果か言の葉に凝り英語に嵌って、戦後間もない剣呑な頃にアメリカに留学して頼みもしない苦労をしていま八十七歳、まあ英語漬けの一生を送って晩年に至った、吾輩の言葉の足跡だ。 経験は数多あれど、年月を経ねば得られぬ経験だけは、現に歳を重ねたものだけのものだ。それに英語を薬籠中に入れ、外務畑で過

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        言の葉譚<013>英会話習得の奥義、鸚鵡返し

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          言の葉譚<010>文型は言の葉の屋台骨

          人の体が骨と肉と皮で出来てゐると見れば、家は木組みの姿が骨で壁や床などが肉、家具類や装飾品が皮と云ふことにならう。これを文章に当て嵌めれば、文型が骨で構文が肉、修飾関係の絡繰が皮になる。この骨の部分を屋台骨と仮称して細やかな一稿をご覧に入れる。 メッセージは何か、と問われるなら、それは木組み(屋台骨)が家の基本であるやうに、文型がすべて文章の基本だと云ふことを納得いただくことだ。英語なら五つの文型がそれで、それらが組み合はされて単文復文になり、主節従属節になって、修飾関係が

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          言の葉譚<010>文型は言の葉の屋台骨

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          言の葉譚<番外編01>英語のカテゴリーマスターだった私が、ヤフー知恵袋を去るの記

          ご存知かと思ふが、Yahoo!の「知恵袋」と云ふ掲示板に英語専科のカテゴリーがあって、尋ね人と助っ人が交わって英語話しをしてをる。読めば大方は英語学習の道場如きもので、気構えによっては役にも立ち人助けにもなるのだが、時に罪作りの場にもならうかと云ふいかにも剣呑な場所でもある。 剣呑とは穏やかでないが、一方では難渋していた問題を何の実費も払はず解いて貰ふ便法ではあっても、他方、如何にも初歩的な質問に何とも生半可な英語通が変梃な答えをしてBA(ベストアンサー)に選ばれ、哀れその

          言の葉譚<番外編01>英語のカテゴリーマスターだった私が、ヤフー知恵袋を去るの記

          言の葉譚<009>刈りたての干し草

          張子の虎は思はぬ部所から綻びる。本稿は、かくあるべしをさにあらずと否された虚脱感、いや、平たく云えば、何々流の竹刀剣法がさり気無い街中の脇差遣いに一本取られた話、苦々しくも懐かしいわが若き日の苦渋譚だ。 わが留学時代の詳細はHP「梟の侘び住い」の「アメリカ苦学記」( https://wyess11.xsrv.jp/main/ikizama/ )をご参照頂くが、小生意気な若者が己れの浅学を思ひ知る経緯は、傍目には興味を唆らう。 ここで吾輩は己れを蛙に擬えて、ある経験談を明か

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          言の葉譚<009>刈りたての干し草

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          言の葉譚<008>脈釣りの話

          過去ログに「知識と智慧」と云ふ一篇を挙げておいたが、本稿はその姉妹篇とも云ふべきもので、和英を語るに欠かせぬ分水嶺と云へやう言の葉の道を極める要諦だ。世に目分量という言葉があらう。秤りに掛けずとも掌や指先の感覚で量を測る感覚だ。職人の指先にはこの手の感触能が備わってをる。 和英を語るとき、英語なら秤りに中る文法なりシンタックスなりのツールを用ひるに限るが、日本語に通じる捷径は専ら言語的な感触能を体得することだ、と吾輩は八十六歳の年の功を賭けて断言して憚らぬ。 その確信に照

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          言の葉譚<008>脈釣りの話

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          言の葉譚<007>ヒバリとカタツムリ

          終戦直後、巷に溢れる英語に戸惑ひながら、十歳になりたての吾輩はそのアクセントに無性に惹かれた。アメリカがアメーリカでメが強く、ヨコハマがヨコハーマでハが強い。the United States of Americaの響きを聞いた時、その語調の妙にぐっと惹かれた。あれが、吾輩をこの道(和英)に引き摺り込んだ直接の動機だ。 その後、音楽好きの吾輩は、外つ国の歌曲が見事な日本語で歌はれるのに気づく。歌詞の翻訳に関わる人物に馴染み、堀内敬三を知り、遡って上田敏を知った。とくに後者は

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          言の葉譚<007>ヒバリとカタツムリ

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          言の葉譚<006>「まず隗より始めよ 日本語を味はふ」

          外国語を習ふ人が母国語にどれほど熟達してゐるか、若い人なら自分の国の言葉をどれほど理解してゐるかによって、その外国語の習得に途轍もない差が出るものだ。母国語をしっかり操れる人はよく根の張った苗のやうに、言葉の理解が早く、応用がぐんと広い。 「違ひ」と云ふ言葉がある。これが間違ひ、思ひ違ひ、勘違ひ、手違ひ、筋違ひ、行き違い、人違ひなどなど、際限なく派生して日本語の妙なる表現力を醸し出す。違ひでもこれだけ懐が深い。英語はと云へば、違ひの語感で浮かぶのは、difference,d

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          言の葉譚<006>「まず隗より始めよ 日本語を味はふ」

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          言の葉譚<005>『知識と智慧』

          「言葉をめぐる悲喜交々を年の功で塗して陳述すれば、然るべき人びとには多少なりお役にも立たんと、かう思ひ立ったのだが如何だらうか」、との前触れで書き始めたこの『言の葉譚』だが、此処までの数篇が如何に読まれてをらうか気懸りだ。 noteの何たるかも弁えずに書き始めたが、この数編を読まれた見知らぬあるご仁に端なくもかう耳打ちされた。「英語狙いにとっては、こりゃ知識よりは智慧だな」。広く言の葉狙いの積もりだが、さう言われてみれば英語に悩む輩にはさもありなんと納得。このご仁が重ねて云

          言の葉譚<005>『知識と智慧』

          言の葉譚<004> 気懸りという名の鳥

          こんな厄介な言葉を事もなげに操る人たちが、この至極覚え易い言葉が下手だと評され、自分たちもその会得に四苦八苦してゐる様は滑稽だ、いや、天下の不合理だ、とかう宣うのがこの言の葉譚の筆者、他ならぬ吾輩だ。厄介な言葉とは日本語のこと、事もなげに操る人たちとは日本人のこと、至極覚え易い言葉とは英語のことだ。 漲る自信さう云ふ(否、断定でいい)にいたった吾輩の言ひ草を、改めて披歴したいと思ふ。それには先ず、コペルニクス的展開と思しきある出来事について一節語らねばならぬ。話の舞台は吾輩

          言の葉譚<004> 気懸りという名の鳥

          言の葉譚<003> Let's Learn Englishとカムカム英語

          英語の洪水英語に絡む苦楽の八十六年、かうしてそれをほぼ身に付けてみると、吾輩はこれほど易しい言葉になぜあれ程四苦八苦したのかと戸惑ふのだ。勘違ひされては困るが、易しいとはわが母国語たる日本語の精緻さ、奥深さ、玄妙さと比べれば、と云ふ話だ。戦ひに敗れ、その負ひ目からアメリカに論(あげつら)う性を身に付けた日本人は、昨日まで敵性語だった英語の洪水に途惑う。学校では多くは急場の英語教師たち、そのほとんど話す能力は皆無の教師たちが教壇に立ち、生徒たちはThis is a pen.を呪

          言の葉譚<003> Let's Learn Englishとカムカム英語

          言の葉譚<002> 「松蔭は万次郎に敵わなかった」

          戦前に『譚海』といふ少年雑誌があった。A4半裁ほどの小ぶりながら2センチ余ほどの厚みのある雑誌だった。後に『少年倶楽部』に押されて廃刊となったが、吾輩などはこの雑誌の愛読者だった。物語が溢れる海と云ふ意味で、譚とは物語のことだ。 だから言の葉譚とは、言葉つまり言語の話をしこたま語りたい、と云ふ吾輩の心持ちを披瀝する場、とでもご理解いただければそれでよい。言語などと重苦しい言葉よりは言の葉と和らげて、言語といってもズバリ英語と日本語だけの話に絞って、八十六年間の「英語生活」を

          言の葉譚<002> 「松蔭は万次郎に敵わなかった」

          言の葉譚<001> 「易しい英語、難しい日本語」

          恐れながら罷り出た吾輩は、いま傘寿半ばの八十六歳、これまでの歳月をほぼ英語漬け、いや、母国の日本語と絡めてのバイリンガル生活漬けで送って参った奇物だ。日本を負かしたアメリカをこの目で見たい一心で、あぶく銭を掻き集めて被の地に留学、刷り込み覚えた英語を飯の種に此処まで生き延びた、自分で云ふのも何だがごく稀な、いわば奇人だ。 その間、これぞと云ふ体験をまあ無数にしてをるが、この年月で肝に命じたことは、英語が何と学ぶに易くすこぶる効率的な言葉か、わが日本語がごく奥深く含蓄に富み学

          言の葉譚<001> 「易しい英語、難しい日本語」

          初物食ひの愉しみ

          傘寿もなかば過ぎ、86歳のレアものです。かねてはからnoteなるものの存在は承知してをりましたが、近頃の得体の知れないサイトかと、二の足三の足を踏んでゐたが、それ、初物食ひの愉しみに惹かれて参上しました。まずはご挨拶、この場の使い勝手に慣れるまで、どうぞお手引きを願ひます。

          初物食ひの愉しみ