行動しないという慣れ

昨日、会社を辞めた。

最後に上司の方々にお寿司に連れて行って頂いた。これで、退職するのは2回目。1回目の退職の時も同様にご飯に連れて行って頂いた。

これまでで2回、会社での最後のご飯をご馳走になった経験をした。その僕が思うことが出てきた。

きっかけは必ず言われるセリフである。

「じゃあ、元気でな。元気でやれよ。俺らも頑張るからさ。」

こういった言葉をかけて頂ける事は、ものすごく嬉しい。感謝の気持ちを忘れてはいけないと改めて感じる。

だがなぜ、「もう二度と会えないけど、、」というような雰囲気になるのか。

例えば、別れの事情が、アメリカに永住します。山にこもります。無期懲役を下された。

と言った事情ならば、まだ分かる(腑には落ちないが)。だが、僕の場合はこういった事情はない。

なぜ??僕はこの「もう二度と会えないけど、、」の原因を考えてみた。

そこで、僕が到達した答えは、

「コミュニティへの依存」だ。

これは、会社に属する上で最上級に留意する必要がある現象だと僕は思う。めちゃくちゃ怖い。

依存といえば、ニコチンやアルコール、スマホなどが思いつく。依存は自覚がないからタチが悪い。

上司たちは継続年数が長いため、会社というコミュニティに依存してしまっている。そのため、

会社を退職=もう会う機会が無くなる

という、式が成り立っているのではないか。

僕自身、2019年はやりたい事があれば、実現の為に行動に起こしている1年である。そのため、行動に起こすことの大切さ、世の中(人)は僕のためには何もしない事、世の中(人)は人に興味が無い事、を知った。

あえて言う。昨日お別れした上司たちは今日も会う事ができる。前に勤務していた会社の上司にも今日会う事ができる。気になるあの子にも、もう会うことの無いと思っていた中学校の同級生にも。

だとしたら、何故、会わないか。会えないのか。

答えは1つ。会おうとしていないから。会うための行動を起こしていないから。これに尽きる。

食べるという行為も、食べるために食料を調達しなければ(行動を起こさなければ)食べることはできない。これと一緒だ。

この、「会うための行動をしていない事」に対して抵抗がなくなる事は非常に怖い。そして、自覚がない。あー怖い。ボンビラス星に行く事よりも怖い。まじ怖い。

会社というコミュニティ内では、会うための行動をしなくても会える。会うことが目的では無いから、行かないとダメという責任があるからである(本当はないのだが)。

この理由により不可抗力で、会社の人と毎日に近いレベルで顔を合わせる事になる。可処分精神を人と会う事に割かなくても人と会えるのだ。

これに慣れてしまうと、わざわざ人と会う事に可処分精神を割く事が億劫になる。多量のエネルギーを使うからだ。

人は人の間でしか生きられない。(周りのものほとんど人によって与えられてるよ)

人と会う事へ抵抗が生まれ始めたら、会う人の数が減る。会う人が人の数が多い生活とそうでない生活。どちらが生きやすいだろう。

多くは言わない。

さぁ、思いついたあの子に連絡をとってみよう。その積み重ねはあなたの人生をがいい方向に向き始めると思います。

僕に連絡ちょーだい。笑

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