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可能性世界と霊能者

 今朝、奇妙な夢をみた。修道院に入る夢だった。現在、博士論文など、もろもろ抱えているものがあるけれど、「修道院、入っちゃったしなぁ」と夢の中の簡素な庭を眺めていた。いまとなっては懐かしい米国の神学校舎の裏庭に、よく似ていた。泊まる場所は十段ベッドのような、かなり変わったつくりだ。中空の塔内部の壁面にベッドと個人の机などが備えつけられており、移動は梯子を使う変な構造だった。

 先輩修道士に「これなら着れるかな」と大きなサイズの服を選んでもらい、なんとか袖を通した。その服は信徒らが教会に寄付したもので、とりあえず黒の長服を着て、腰で荒紐を巻けば、それらしく見えるからそれで良い、とのことだった。

 修道士1年目のぼくらはどうやら食事準備の当番だった。しかし誰からの指示を受けてないので、どうにもならない。帰ってきた修道士の一団の中に、なぜか女性が一人いた。驚いた。

 とはいえ驚いていても仕方ないのでテーブルやイスを設えていたが誰も手伝ってくれなかった。昨晩、そんな信仰や姿勢で修道院に入って大丈夫かと疑うような話をしていた連中は当然ながら手伝わない。どうなってるんだと思った。

 そして目が覚めた。

 あまりに鮮明でリアルだったので「なんだ夢か」とも思わなかった。きっと、修道院に隠遁して読書と祈りだけの暮らしをしたい、そんな内なる願いが夢になったのだ。

 時間をみようとスマホを探した。何か形の違う黒いものに手が触れた。昨晩のうちに本棚から落ちたのだろうか。寝呆けまなこで開いてじっとみる。聖書ではない。賛美歌?祈祷書?

 目をこらすと文字がみえる。「キリストにならう」

 なんだか笑ってしまった。トマスアケンピスのDe imitatione Christi邦訳だ。キリスト教文化圏では「第二の福音書」「中世の最高信心書」「聖書の次に読まれた」と呼ばれる不朽の名著である。

 ぼくの手元にある本書は、日本文学研究者・月渓宏の蔵書である。月渓(つきたに)は、おそらく1958年に立教大学大学院を修了している。万葉仮名、いろは歌の研究者・宮嶋弘に師事し、どのような経緯を辿ったのかは知らないが、京都文教大学にて教鞭をとった。同大紀要に名前が出てくる。1981年20号「後鳥羽院御口伝の定家評」1983年22号「淡窓詩話ノート」である。同窓会がらみの文面も確認できる。同姓同名だとは思えない。

 月渓の蔵書のキリスト教に関するものが数冊、ぼくの本棚にある。河原町三条にある大学堂書店で購入した。老境の身辺整理だったのか、または遺族が売却したのか。不明ながら、ぼくは蔵書を古本屋で購入することで、月渓との縁ができた。いつか月渓のエセーや業績などを読んでみたいし、御本人存命なら会ってみたい。または亡くなられているなら関係者からどんな人だったか聞いてみたい。

 話がそれた。De imitatione Christi「キリストにならう」である。

 自分によく似たカトリックの聖人パドヴァのアントニオをふと思い出す。時代と場所さえ違えば、きっと、ぼくは修道士になっていた。しかし、ぼくは古代キリスト教会の揺籃、地中海をかこむ五大教区のあるユーラシア大陸の逆の果て、さらに海を挟んだ向こうの小さな地中海、瀬戸内海の近くで生まれた。だから、ぼくはトマスアケンピスのようにはならないし、パドヴァの聖アントニオのようにも、すべての修道士の祖・エジプトの聖大アントニウスのようにもなれない。

 いまぼくが見ている景色のために、家族・友人・知人、あらゆる人々の時宜にかなう助力があった。だから、ぼくは修道士にはなれないし、その道を選べない。ただ夢の中で、その静謐で甘美な時間に思いを馳せるに留まらざるを得ない。他にやるべきことがある。

 あまりにも鮮明な夢だった。ちょうどLINEを飛ばしてきた友人に頼んで話を聞いてもらった。そしてふと思う。並行可能世界/異世界転生を願う心持ちは慰めとして必要なのだと。それはシンプルに「あり得た異なる未来」を想定することだ。

 たとえば死んだあの人が、もし生きていれば...。あの日、あのとき、この選択を取っていれば…。しかし、これは一時期の慰めにしかならない。たしかに神は量子論的世界観、平行宇宙や可能世界にも対応するだろう。神はあらゆる人生の道行きと可能な世界線をすべて祝福し贖うだろう。けれども、人が歩む道は、その人が「いま、ここ」にいたる過程は、そこにしかないのだ。だから過去は否定できない。いつか甘美な慰めを思い出に変えて、起き上がらなくてはならない。

 もちろん並行世界や異世界を想定し受容することも可能だ。しかしながら、それは統合失調症の前提にほかならない。ちなみに統合失調症における内なる他者の声を従えることができるなら、その人は霊能者になるらしい。興味深いことに凄腕の臨床心理士と霊能者が、これについて同じことを言っていた。

 可能世界と霊能者、死後生への想像力。

 ぼくの修士論文は「賀川豊彦の死後生観」だった。それゆえ、博士論文は「賀川豊彦の終末論」となる。その向こう側に、ぼくの新たな仕事、キリスト教学的なフィールドワークが待っている。だから終わらない執筆に戻らねばならない。

ノーマン・ペインティング/マイケル・デー共著『パドアの聖アントニオ』原口みち子訳、中央出版社、1976年の表紙より
月溪宏/立命館大学日本文学会「論究日本文学」22巻、1964年1月、70頁。
賀川豊彦1888-1979)

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