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特に思い入れのない皿を金継ぎする

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買って一ヶ月もしないうちに皿を割った。

その皿は旅行先で買ったわけでも、親の形見でもなんでもない特に思い入れのない皿だったが、割れたからすぐ捨てるのも"THE・消費社会"だなと思い捨てれずにいた。

あるとき金継ぎをすることを思い立ち、ネットでキットを購入した。 
思っていた数倍難しかったが、なんとか皿として使える状態にはなった。


金継ぎといえば、思い出の大切な皿が割れてしまった時のレスキューというイメージがあったが、擦り傷に絆創膏を貼るみたいに当たり前の行為として特に思い入れのない皿に金継ぎをするのも面白いなと思った。

普通は「金継ぎをすることで以前とは別の価値が生まれた」とか「日本人の伝統的な価値観は素晴らしい」という感想になるのだろうが、私はこの皿に特別な価値を見出す気も、この行為を「日本の伝統」という巨大なカテゴリーに収斂させる気もない。

どちらかというと日常の何気ない風景を写真に撮るとか、短歌として記録するとか、絵を描くとかそういった行為の延長として捉えているような気がする。

無理やり定義すると、特に思い入れのない皿に金継ぎをする=皿を割るという生活の風景を金継ぎというフレームでもって捉え、消費社会によって加速度をつけられた日常にストップをかける行為ということになる。


自分の生活に自分で手を入れ、それを畑のように耕すことでしか会得しえない感性や表現もこの世界にはあるような気がする。

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