和田拓海

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特に思い入れのない皿を金継ぎする

買って一ヶ月もしないうちに皿を割った。 その皿は旅行先で買ったわけでも、親の形見でもなんでもない特に思い入れのない皿だったが、割れたからすぐ捨てるのも"THE・消費社会"だなと思い捨てれずにいた。 あるとき金継ぎをすることを思い立ち、ネットでキットを購入した。  思っていた数倍難しかったが、なんとか皿として使える状態にはなった。 金継ぎといえば、思い出の大切な皿が割れてしまった時のレスキューというイメージがあったが、擦り傷に絆創膏を貼るみたいに当たり前の行為として特

    • 20200713

      猫最近自宅付近をよく散歩するようになった。 車の下でくつろいでいる猫や、ガラスの扉越しにじっとこちらを見つめる家猫をみるたびに、意外と近所に猫いっぱいおるやん、と思う。 特に早朝に散歩をしていると、猫しかいない街になるので人類は私以外めつぼうしたんやっけ、とねぼけた頭で考えてしまう。 それはそれでしあわせかもしれない。 交差点雨の中歩道橋の下で野菜を売っている人がいた。 今の家に住んでもう4年目になるが、交差点で野菜を売っているのは初めて見た。 「無農薬の野菜です

      • 20200705

        透明な視線人が会話している顔を観察するのが好きだ。 年齢は高ければ高いほどおもしろい。 もっと言うと、互いの関係性が曖昧で推理する余白があるほどおもしろい。 例えば、電車で向かいに座っているおばさんたちの朗らかな会話や、出会い系かなんかで今日初めて会ったらしい男女のぎこちない会話、難しい言葉を使っている割に内容がスカスカなエセ知識人たちの会話などだ。 私はいつもそんな人たちの顔をよく観察している。 熱心に話をする人の目つきや手ぶり、話を聞いている人が相槌を打つときの表情

        • 20200703

          雨。 昼飯を食べに入ったうどん屋のおっちゃんが世話好きで実家に帰ってきたみたいになる。 一台のテレビを不特定多数の見知らぬ人たちと一緒に見るという状況もそういえば久しぶりだなと思った。 同じニュースをみて少したつと、ぽつ、ぽつ、ぽつ、と雨のふりはじめみたいに話しだす声が聞こえてくる。 雨がアスファルトに落ちる音と、木の葉に落ちる音と、ビニール傘に落ちる音がそれぞれ違うように、同じニュースを見ていてもテーブルによって違う切り口で話しだすのがおもしろいなと思う。 そんな

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          12本
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          短歌一週間

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          +13

          20200623

          +13

          20200624

          歌詞が「詩」であることを思い出すこの前久しぶりにCDを買った。 サブスクで音楽を聴いていると、よっぽど気にならないと歌詞は確認しないし、洋楽を聴くようになってからは余計に邦楽でも歌詞を気にしなくなった。 歌詞カードを読みながら聴いていると、歌詞が「詩」であることを思い出す。 というよりは、歌詞が「詩」であることを指でなぞって確かめながら聴くことができる。 歌詞を見ずに漫然と耳だけで聴くよりも、ことばを目で追いかけて指でなぞって匂いを嗅いで聴く音楽は、風呂上がりに飲む麦

          20200622

          「ニューヨークイエロー」こんなに的確に色を表す表現があっていいのか、と思った。 新しい電気ケトルをamazonで探していた恋人が見ていたページをたまたま覗くと、そこには「ニューヨークイエロー」という聞いたこともない色の名前があった。 他にも「トーキョーレッド」「ロンドンブルー」など様々な都市の名前と色が組み合わされていたが、どれも「ニューヨークイエロー」ほどの的確さ、衝撃はなかった。 なぜ自分でもここまでしっくりきたのかはよく分からないが、なんとなくニューヨークという単

          1週間短歌 (20200614〜20200621)

          西へ行き東へ行って追いかける扇風機の風ひまわりみたく 手をのばす頬が近くによってくる私はそれを「愛」と呼びたい 湯をためる間に短歌の本を読む言葉と水がざぶざぶあふれる 灯台の代わりにたてた付箋なら帰る港を教えてくれる 世界には猫しかいないことを知る朝でも夜でもない色の空 栞紐大海原に放り投げ手繰る言葉は潮に任せる ひらがなに牙を抜かれた「ぼうりょく」は白髪交じりの猫にはにかむ

          1週間短歌 (20200614〜20200621)

          20200620

          栞紐本を読んでいると、いつも2割読み終わったくらいで栞紐の存在に気づく。 おったんかいと思いながらしおりの代わりに挟んでいたレシートと選手交代する。 早朝に目が覚めて散歩していたら人懐っこい猫に出会った時みたいに、嬉しいようなこそばゆいような感じがする。 栞レシート栞紐がない本を読んでいるときは、たいていレシートを栞の代わりに挟んでいる。 レシートの中にもヒエラルキーがあって、栞として起用されるレシートとそうでないレシートがある。 私の中での"スタメン"は、喫茶店で

          20200619

          セミの声家電量販店に行くと、録音されたセミの声がフロア中に響き渡っていた。 その声は、ポータブル扇風機や涼感グッズなどが陳列されているコーナーで再生されていた。セミの声はそこでは「鬱陶しく、忌避すべき夏」を象徴しており、その「夏」をできるだけ快適に過ごすための商品が対抗馬として選出され陳列されていた。 人間の記憶は幸福なものも不幸なものも、いとも簡単に呼び起こされてしまうものだなと思う。 セミの声が思い出させるのは、「不快な夏」だけでなく、「飛ばしたスイカの種の軌跡」や

          20200617

          付箋を貼るとき最近短歌の本を初めて買った。 気に入った短歌に付箋を貼っていると、なんだかプレイリストを作っているみたいだなと思った。 好きな音楽も、アルバムを通してじっくり聞きたいときと、中でも大好きな曲をピックアップして聞きたいときがある。 玄関でペットの頭を撫でながらすぐ戻るからねとささやくみたいにやさしく付箋を貼るとき、私の心は凪いでいる。

          20200615

          人類みな顔見知りモーニングに来るおばさんたちは全員顔見知りなのだろうか。コーヒーを啜る。 前に座るおばさん2人組を観察していると、来る人来る人「おはようございますぅ〜」と挨拶して短い世間話をして席につく。2人が帰る時も、入り口近くに座っていたおばさん集団に挨拶をして店を出る。 それぞれの集団は別々に来ているのに、みんな顔見知りってすごいなと思った。 この人たちは死角から元気に「おはようございますぅ〜」と挨拶したら全く知らない人でも挨拶し返してしまうのだろうか。コーヒーを

          20200612

          餃子のかたち恋人と餃子をつくった。 餃子を包むことって、子供が粘土で作ったへたくそなゾウとか、陶芸教室の体験でつくるいびつなマグカップみたいに、普段は目に見えないもやもやしたものが、手を通して具体的なかたちを与えられることだなと思った。 そのもやもやの正体は、食パンは何枚切りが好きかとか、爪のびてるなと思ってから実際に切るまでにかかる時間とか、本棚の本の並べ方とか、そういう瑣末なことが堆積した結果できたものだと思う。 恋人が包んだ餃子はひだが細かくたくさんついていて、私