とにかく無事に
皆さんにとって2024年はどんな1年だったでしょうか。私は「何事も無事に」行くことの重要性、ありがたみを感じたような気がします。
昨年社会人になり、秋以降は仕事がそこそこ忙しかったなあという感じがするのですが、その中で健康を維持することの大切さを実感いたしました。「健全な精神は健全な肉体にこそ宿る」ということで、一人暮らしでも野菜を積極的に摂ることをモットーにしました。今年はもっと運動(ProtestではなくExerciseの方)をできたら良いなと思います。
競馬界においても、無事に行くことのありがたみを痛感する出来事が多かったように思います。
残念な事故がありました。3月には高知競馬の塚本騎手、4月には中央競馬の藤岡康太騎手が落馬事故のため亡くなりました。
また、騎手の不祥事も相次ぎました。特に、通信機器の不正利用で制裁を受ける騎手があまりにも多かったことは残念です。
有力馬の故障も多かった印象です。代表的なのは今年の皐月賞馬ジャスティンミラノ。天皇賞秋に向けての調整過程で屈腱炎を発症し引退。今年の帝王賞を勝ったキングズソードも屈腱炎。他には昨年の東海ステークスを勝ったプロミストウォリアや青葉賞を勝ったシュガークン、これからの活躍を期待された2歳馬エリキングが骨折。そして、有馬記念で一番人気確実だったドウデュースが直前に跛行のため取消、そのまま引退。
そんな中、故障回避に繋がる英断を見せたベテランジョッキーがいました。
「馬はちゃんと大事にしていれば応えてくれる。」
皐月賞のゲート裏。クラシック第一関門に向けて各馬が輪乗りを行う中、突然場内放送が流れました。
ダノンデサイルが馬体検査を行い、そのまま直前で取消に。鞍上の横山典弘が僅かな違和感を察知し、苦渋の決断をしたそうです。
皐月賞出走の直前で気づいたことで、幸い軽症で済んだダノンデサイルは日本ダービーに出走。9番人気の低評価ながら、最後の直線で内から抜け出すとそのまま2馬身差の差をつけてダービー制覇。見出しは、勝利騎手インタビューで横山典弘騎手の口から出たセリフでした。
JRA最年長でのGⅠ勝利。かつてドバイの地でホクトベガを失った際の後悔が今に繋がっているのだなと感じました。
横山典弘「27年ぶり」ドバイ決戦へ。「自分の命と引き換えに僕を守ってくれた」盟友ホクトベガの死で止まった時間…今度こそ無事完走を | GJ
その後、ダノンデサイルはぶっつけで臨んだクラシック最終戦・菊花賞で1番人気に支持されましたが、2周目の坂の下りでポジションを大きく下げたこともあり6着に終わりました。それでも最後はよく追い込んで力を見せた印象です。
その次に有馬記念に出走。菊花賞馬アーバンシックに次ぐ2番人気に支持されます。横山典弘騎手は逃げの手に出ました。前半1000mは62.9秒のスローペースに落とし、ラスト1000m地点からペースアップ。後続の脚を削るロングスパートに出ましたが、最後はロスなく立ち回った3歳牝馬のレガレイラと先輩ダービー馬シャフリヤールに交わされ3着。内容は決して悪く無かったように思いますが、安田調教師は辛口コメント。
「逃げるのは予定通り。いい変化はしているが、3着という結果よりもここまでの過程で、あったものをなくしている気がして、それを修正していかないといけないという、危機感の方が強いレースだった」
抽象的なコメントではあるが、危機感は伝わってきます。血統的に、エピファネイアの産駒(ロベルト系全般)というのは突然ピークが終わってしまいその後に再び力が戻ることはないことが多いです。その理由は分かりませんが、同じ道を辿ることになると悲しいです。
やはり、ダービー馬には強くあってもらいたいです。今年の活躍を期待しています。(AJCCから始動予定だそうです!)
他にも、2024年は心に残ったレースが多かったです。
既にnoteに書いているレース以外で、印象深いレースを振り返っていきたいと思います。
不治の病を乗り越えて
競走馬は細い4本足で500㎏もの馬体を支えています。そのため、そのうちの1本が機能しなくなると安楽死処分を執らざるを得ないこともあります。
安楽死処分に至らないまでも、故障はつきもの。その中でも「不治の病」とされているのが屈腱炎です。
屈腱炎についてはこのサイトに分かりやすくまとめられています。
過去、数多の名馬が屈腱炎を理由に引退に追い込まれました。治療期間が長く、また再発することも多いため、一度発症した段階で陣営が引退を決断することも少なくありません。今年も皐月賞馬のジャスティンミラノが屈腱炎を発症してすぐ引退となりました。
そんな屈腱炎を発症したかつてのクラシック活躍馬がいます。その名もステラヴェローチェ。
2歳時にサウジアラビアロイヤルCで初重賞制覇。朝日杯2着、皐月賞3着、ダービー3着、菊花賞4着、有馬記念4着とG1で善戦が続きましたが頂点には届かず。4歳になり、ドバイからの帰国後、活躍が期待されたところでいきなり消息不明となりました。
せめて、「ステラヴェローチェ、屈腱炎発症全治9ヶ月」みたいなニュースがあれば良かったのですが、それすらも無かったので単に消えただけの状態。「生きているのか?」と心配になったファンは少なくなかったはず。ニュースが無かったのは、おそらく馬主が亡くなったことによる引き継ぎも重なったことが原因かと思われます。
そんなステラヴェローチェは昨年秋の富士ステークスで復帰(7着)。その次走、初ダートの武蔵野Sで16着となった後、5歳シーズン初戦のレースとして大阪城S(リステッド)を選びました。
私はこの日鎌倉旅行で、これから江の島の洞窟に入ろうかという時に結果を見ました。
デビットバローズとの競り合いを制し、神戸新聞杯以来2年5か月振りの勝利を飾りました。これにはファンも大拍手。一時は行方不明かと思われた馬が復活の勝利を飾ったのです。私も洞窟内で余韻に浸り感動していました。
その後、大阪杯4着、札幌記念3着など、芝の一線級の馬を相手に善戦。天皇賞秋(9着)の出走後、屈腱炎が再発し引退となりました。悲願のG1制覇は叶いませんでしたが、屈腱炎からの復帰・勝利はファンの心に刻まれているはずです。
今年からは日本軽種馬協会静内種馬場で供用となる予定。自身同様、ファンに愛される馬を輩出してくれることを楽しみにしています。
20年前の自分へ
今年は初G1制覇を果たしたジョッキーが多く、春G1では全てのJRA・G1の勝利騎手がバラバラだったことも話題となりました。
その流れを最初に作ったのは天皇賞(春)をテーオーロイヤルで制した菱田騎手でした。
「なんと4歳4強を退けて、イングランディーレの一人旅」
2004年天皇賞(春)。人気は4歳馬4頭が分け合う形となっていました。
1番人気がリンカーン。菊花賞有馬記念連続で2着、前走の阪神大賞典で優勝。2番人気がダービー馬ネオユニヴァース、3番人気が菊花賞馬ザッツザプレンティ、4番人気がダービー2着馬ゼンノロブロイ。
しかし、勝ったのは道中大逃げを見せたイングランディーレ。鞍上横山典弘騎手が後続勢を幻惑させる逃げを打ち、終わってみれば7馬身差で勝利。
この時、当時11歳の菱田少年は現地で天皇賞を観戦していました。菱田少年は当時、京都パープルサンガのジュニアチームに所属するサッカー少年でしたが、この天皇賞がきっかけで騎手になることを志したそうです。
天皇賞に向けてのインタビューでも、この時の出来事を取り上げて抱負を語っていました。
「20年前の天皇賞当日に競馬場へ行って衝撃を受けて、騎手を志したきっかけになった。(今回で)勝たないといい思い出にならないし、いいレースをしたい。みんなの頑張りが報われるようになれば。」
【天皇賞・春】テーオーロイヤル菱田騎手「みんなの頑張りが報われるようになれば」/一問一答 - 競馬 : 日刊スポーツ
騎乗するテーオーロイヤルは2年前の春の天皇賞で3着。骨折を乗り越え、ダイヤモンドS、阪神大賞典と長距離重賞を連勝中でした。前年の菊花賞馬ドゥレッツァと人気を分け合う形となりましたが、最終的に1番人気で本番を迎えました。菱田騎手がG1で1番人気馬に乗るのは初めてのことです。
テーオーロイヤルは14番枠から好スタートを切りました。先手を奪ったのは20年前と同じ、横山典弘騎手でした。あの時はスタンドから見た景色を、今日は本命馬の背中の上から見る格好。しかし菱田騎手は全く慌てることなく好位外目のポジションをキープしました。
2周目に入ったところですぐ内にいたサヴォ―ナが仕掛けて前に行きますが、菱田騎手は全く慌てません。坂を登り切って下りに入り、各馬の手綱が動き出す中、菱田騎手は持ったままで進出を開始。激しく手綱が動き苦しそうに藻掻くドゥレッツァとは対照的でした。4コーナーで激しく手綱が動くディープボンドに並びかけ、堂々先頭に立ちました。
「すごい馬ですね。4コーナーではまだ余力があって『20年前、ここに見に来ていた自分に見といてくれよ』と思いながら追っていました」
直線に入ると独走。最後に後方待機のブローザホーンが突っ込んできましたが、全く関係ありません。2馬身差の完勝で悲願のビッグタイトルを掴みました。
「よっしゃ。やっと勝てた。今まで生きてきた中で一番うれしいです。皆さんにありがとうと言いたいです」
菱田騎手はデビュー13年目で初G1制覇。師匠の岡田調教師もこれが初G1制覇。師匠と共に、自厩舎の馬で勝利。
ウィナーズサークルには家族の姿も。
17年前。公務員だった父壽男さんは、騎手になることを反対していました。
「ケガのリスクもありますし、不安定な仕事はどうなんだろうと思っていたと思います。でも、最後は背中を押してくれて。今ではすごく応援してくれてます。めちゃくちゃ大きな存在です」
私、現地までこのレースを観に行っていました。馬券は外しましたが、ストーリー含めてあまりにもいいレースでした。良いものを見たなと思いましたし、このドラマがやはり競馬だなと。そして、この日は天気が良く、家族連れが多かったです。この天皇賞をきっかけに、騎手を志すニューヒーローがいたら良いな、と。そんなことを思いました。
【天皇賞・春】「菱田ロイヤル」悲願G1初制覇、世界最高峰長距離戦・メルボルンC挑戦も視界に - 競馬 : 日刊スポーツ
単勝208.6倍の夢
天皇賞の菱田騎手に続いて悲願の初G1制覇を果たしたのは、ヴィクトリアマイルでの津村騎手でした。
私はこの日、予定があったのと、どれだけ予想しても分からなかったので馬券を買っていませんでした。出先でTwitterを見て結果だけ確認したところ、「14番人気のテンハッピーローズが制す」と書いていてびっくらこいたことを覚えています。
いや、たしかに、ヴィクトリアマイルは中距離タイプと比べて1400タイプの方が来がち、みたいなことは思っていましたし、メンバーに1400タイプが少なかったのは確かです。それでも、追い切りを見て流石に消しました。予想できるわけがない。買わなくて助かったと思いました。
そして、帰ってレースを見てさらに驚きました。人気薄の馬が勝つのは得てして極端なパターンが多い。ノーマークの逃げ切りか、ハイペースで展開がハマり追い込みが決まるのはよくあります。あとは距離ロスを少なくして内から抜け出した、とか。しかしテンハッピーローズは中団から外を回して直線で突き抜けたのです。着差も1馬身4分の1。1番人気のような堂々たる勝ち方でした。
津村騎手は競馬学校20期で、同期には川田騎手、吉田隼人騎手、藤岡佑介騎手、丹内騎手がいる代。川田騎手は、「馬に乗ることに関しては天才」と津村騎手のことを評しています。
しかし、同期が既にG1を勝利している中で、自身はカレンブーケドールでの2着が最高(オークス、秋華賞、ジャパンカップの3度)。騎手生活21年目の38歳。これまでの鬱憤を晴らすかのような鮮やかな勝ちっぷりでした。
勝利後、ウイニングランではスタンドの真ん前に来て、再度ステップでファンサービス。名前も相まって「あまりにも可愛い」とテンハッピーローズは人気となりました。
勝利ジョッキーインタビューでは津村騎手は男泣き。
インタビューでは家族への感謝を語りました。なお、このヴィクトリアマイル当日、家族はサッカーの試合を観に行っていて現地観戦はしていなかった模様。それも含めて津村騎手らしいなと思いました。
テンハッピーローズと津村騎手のコンビは、秋にブリーダーズカップマイルへ挑戦。国内外の強豪相手に4着と大善戦。やはり、左回りのマイルは強いのだなと改めて感じました。
テンハッピーローズは7歳となる今年も現役続行。今年はどんな走りを見せてくれるでしょうか。
香港最強馬、東京を制圧
昨年は多くの海外馬が日本のG1に参戦した年でもありました。
高松宮記念、スプリンターズSに出走したビクターザウィナー、安田記念に出走したロマンチックウォリアーとヴォイッジバブル、マイルCSに出走したチャリン、ジャパンカップに出走したゴリアット、オーギュストロダン、ファンタスティックムーン、阪神JFに出走したメイデイレディ、計6レースに述べ9頭の海外調教馬が出走し、日本競馬を盛り上げてくれました。
その中で勝利を収めたのが安田記念のロマンチックウォリアーでした。香港最強馬のこの馬は安田記念出走時点でG1を7勝。QE2世C3連覇、香港C連覇中であり、前年にはオーストラリアでコックスプレートも制覇。そのコックスプレートからG1レース4連勝中であり、5連勝目をかけて安田記念に出走しました。
日本馬が香港に遠征するたびに香港最強中距離馬として立ちはだかっているため、日本のファンからの認知度は高いこの馬。1番人気に支持されましたが、3.6倍という単勝オッズには初の日本や稍重馬場、マイルという距離への不安が表れているように感じました。
私はこのレースを観に行っていました。ダービーに次ぐ2週連続での府中参戦でしたが、あのロマンチックウォリアーが日本に来るということで見逃すわけにはいきませんでした。名馬に敬意を表しつつ、馬券は違うところから勝負しました。いくら名馬でも初めての条件が多すぎたからです。これで勝ちきったら相当強いなと思いつつ、圧巻の強さを見せつけて馬券を紙くずにしてほしいなという思いもありました。
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レースが始まると、ロマンチックウォリアーは好スタートを決め先行します。日本馬のソウルラッシュが中団につけ、ナミュールがソウルラッシュを見る形で外目を追走。セリフォスは後方待機を選択しました。
隊列変わらず直線へ。ロマンチックウォリアーは馬群に包まれています。並の馬ならここで沈んでもおかしくないのですが、異次元の勝負根性を持つロマンチックウォリアーはここから本領発揮。外に併せてきたステラヴェローチェを弾き進路を確保すると力強く抜け出します。外からソウルラッシュとナミュールが追い込んできている中、残り200mで先頭。さらに、ここからもう一段加速。ナミュールが外から猛然と迫りますが、マクドナルド騎手の鞭に応えてロマンチックウォリアーは伸び続けました。
ナミュールは半馬身差まで詰め寄りましたが、全く差せそうになかったように思います。絶望の半馬身差。もし並んでいたとしても、そこからもう一伸びするのがこの馬。末恐ろしいパフォーマンスでした。これには脱帽です。納得のハズレでした。
これでG1レースは3か国目の制覇、8勝目となりました。
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ロマンチックウォリアーはその後、香港C前哨戦のジョッキークラブCで圧勝し、本番の香港Cでも日本の三冠牝馬リバティアイランド、ダービー馬タスティエーラを寄せ付けず完勝で3連覇を達成。総獲得賞金は2280万ドル(約34億1800万円)となり、ゴールデンシックスティを抜いて世界歴代賞金王となったようです。
今年はサウジCとドバイWCへの出走を予定しています。果たして、最終的に何か国でいくつのG1を勝利するのか。そして、幾ら稼ぐのか。今年の活躍次第では50億円を突破することも夢ではありません。
地元で見せた魂のガッツポーズ
昨年、川田騎手は安田記念と朝日杯を制覇。通算2000勝も達成しましたが、決して順風満帆な1年ではありませんでした。7月、股関節深部に神経の痛みを発症し2週間休養。また、10月には落馬事故にも見舞われました。この時は幸いすぐに復帰しましたが、次週の天皇賞で1番人気のリバティアイランドに騎乗し13着。
悪いことが続く中でJBC開催を迎えました。昨年のJBCは史上初めて佐賀競馬場で開催。川田騎手にとっては、父が佐賀競馬の調教師であり、自らも育った場所。そんな地元で開催されるJBCは絶対に勝ちたいレースの一つであったはずです。
1レース目はJBCレディスクラシック。川田騎手は1番人気のグランブリッジに騎乗するも2着。逃げたアンモシエラに快勝を許しました。
2レース目のスプリントは騎乗馬がなく、3レース目のJBCクラシックに全てを懸けます。騎乗したのは1番人気のウィルソンテソーロ。これまで、チャンピオンズカップ、東京大賞典、帝王賞とG1級競走で3度の2着がありました。馬にとっても騎手にとっても、今度こそ絶対に負けられないレースでした。
外目の10番枠から中団につけたウィルソンテソーロは1周目のスタンド前でややポジションを上げて先行集団に取り付きます。2周目に入った辺り、残り800m付近から仕掛け始め、3コーナーで早めに先頭に立ちます。これまでの惜敗が嘘のようにグングン差を広げ直線では独走。2着のメイショウハリオに4馬身差をつける圧勝劇。ゴールの瞬間、川田騎手は普段絶対にすることのないガッツポーズで喜びを表現しました。そして、これまた普段は行わないはずのウイニングランを披露しました。
勝利ジョッキーインタビューでも涙です。
「本当にありがとうございます。皆様にこれだけ祝福していただけることが本当に嬉しいです。何よりも具合が良かったですし、かならず勝つ競馬をしようと、ウィルソンとともにこのレースに挑みましたし、個人的なことですがここで生まれ育ちましたので、ゲート裏を回っているときに、あそこで僕はちびっこ相撲の練習をしていましたから、そんなところでJBCを開催してくれるようになり、これだけ素晴らしい馬と巡り会えて佐賀に来ることができて、レディスクラシックで勝ち切ることはできませんでしたが、皆さんからの声援の暖かさというのも非常に感じましたし、このクラシックでウィルソンとともに勝ち切るということで、これだけ皆さんから暖かい声援をいただけるというのが騎手冥利に尽きるなと。
この小さい佐賀競馬場で生まれ育ち、いろいろなところを旅させていただいてレースさせていただいていますが、地元でGIを勝つというのはこんなに感極まるものなのだなと、本当に嬉しく思っています。
(ウイニングランについて)普段ならばこういうことはしないように乗っているのですが、こうしてウィルソンが勝ってくれて、ぜひ皆様に近くでウィルソンを見ていただきたいと思ってゆっくりと一周回らせていただいて、本当に暖かい声援をありがとうございました。
この日程が決まって、ブリーダーズカップに行くということも決まっていましたし、開催的に間に合うということも分かって、先日のブリーダーズカップでは良い結果を得ることができなかったのですが、急いで帰ってきて、こうして暖かく、皆様の目の前で競馬ができたことを心から感謝しています。
ウィルソンはなかなか勝ち切ることができず、それでも素晴らしい競馬を続けながら、一歩一歩成長して、GI馬までたどり着いてくれましたし、同じオーナーのウシュバテソーロに追いつけるようにこれからもウィルソンとともに精進していきたいと思います。
そして、初めてJBCを開催していただき、これだけのお客さんに集まっていただいて、遅くまで、本当にありがとうございます。佐賀競馬は通年やっていますので、この開催だけに限らず、一年中九州の皆様に競馬の喜びをと頑張っていますので、ぜひこれからも足を運んで頂きたいと思いますし、僕自身も生まれ故郷の佐賀競馬場の活躍する姿を楽しみに見たいと思いますし、JRAの馬でお邪魔してすべてを負かしてやりたいとも思っていますし、これからも皆さんとともに競馬を楽しんでいけたらと思います」
まさに「故郷に錦を飾った」川田騎手。普段感情を見せない男が見せたガッツポーズと涙に、心を打たれました。
時を超えて繋がる青雲
2024年の障害レースを締めくくる中山大障害は4番人気のニシノデイジーが優勝。2年前の大障害以来のJ・G1レース2勝目を挙げました。
レース後、西山オーナーは引退を発表。同時に、西山牧場で種牡馬となることが発表されました。
ニシノデイジーは2歳時から芝の平地重賞で活躍。札幌2歳S、東スポ杯2歳Sを連勝し、ホープフルSでも3着に入りました。しかし、3歳から5歳で14戦して馬券には1度も絡まず(それでもダービーでは5着と善戦)。6歳シーズンになり障害に挑戦しました。2戦目で初勝利を飾り、3走目の秋陽ジャンプS(OP)で2着。そして5番人気で迎えた中山大障害で3馬身差の快勝。悲願のG1制覇を障害競走で飾りました。
その後も障害レースに出走するも、惜しいレースが続きます。23年の中山大障害で2着、24年の中山グランドJで3着。2年間勝ち星から遠ざかっていましたが、久々に勝利を挙げました。口取り式ではかつて主戦を務めた勝浦正樹元騎手がニシノデイジーに跨る場面もありました。
父ハービンジャー、母ニシノヒナギク、母母父セイウンスカイ、母母母ニシノフラワー。西山牧場の歴史が詰まった素晴らしい血統。この血統が時代を超えて紡がれるのは、まさに競馬が「血のドラマ」たる由縁。西山茂行オーナーは以下のブログで次のように語っています。
「現在8歳。年明けて9歳。西山牧場が産んだ最高傑作のセイウンスカイの血を繋げるのはこの馬しかいません。西山牧場を救った桜花賞馬ニシノフラワーのクロスを作れる馬はこの馬しかいません。ついでで申し訳ないけどハービンジャーの後継種牡馬もこいつしかいないようです。表向きは、中山大障害2勝、昨日あれだけのパフォーマンスを見せてまだまだやれそうですが、(血を繋ぐ)のもサラブレッドの宿命です。このマニアックな血統を次世代に残しておこう、この子たちがターフをにぎわすまで西山茂行が責任持って見届けよう。と思い決めました」
そして、引退式も行われたようです。
西山牧場の歴史と関わる人々の思いを背負い、第二の馬生を歩むニシノデイジーから目が離せません。
今年も胸を熱くさせる名場面を期待しています。