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差別と非対称性 discrimination & asymmetry
昨日、知人に素朴な疑問を提出。「差別する側が『これは差別ではなく区別だ』と言い抜けようとすると左派から非難される。これは理解できる。しかし、左派のもっともらしい言葉遣いを用いて『これは差別ではなく"非対称性"なんです』というと左派から非難されにくいようにみえるのなぜか?」。
— ふかくさ (@fukaxa) March 11, 2017
あらかじめ言い訳を並べておくと、この問題は先行研究があったり、私の無知、勘違いや混乱に起因するものであるかもしれない。なので、考えながら記事を書く。
一般に〝差別〟はよくないこと、あるいは区別の中でよくないものをことさらに指すとされる。しかし、文字通りには「商品の差別化をはかる differentiate」とか「ライバルに差をつける」といった表現もポジティブに通用しているので、私としては「不当な差別待遇」のことを省略して差別!と非難しているのであろうと理解している。
では、その不当性の源泉はどこにあるのか?というと、個人が投げ込まれた変更しにくい属性で、なおかつ必要とされる課題・能力に関係ない点で待遇を変えると差別ということになるのかと思う。例えば経済学ではベッカー型差別という概念があるそうで、これは事業者が賃労働者を雇うときに不利な選択をする(=有利な選択の放棄)ということだと規定される。というのも、例えば人種差別によって雇用を進めれば、同じ待遇でより優秀な人材を雇う機会を逃すからである。
一方、〝非対称性〟とはどういう概念なのだろうか? これも、額面通りに取ると、ネガティブな意味とポジティブな意味がある。例えば企業と消費者との間には〝情報の非対称性〟がある。これは、その商品を生産・販売する企業側の方が消費者よりも圧倒的にその特定の商品の事情に詳しいため、相対的に情報弱者とならざるを得ない消費者は一方的に不利になるというものだ(経済学者アカロフのレモン市場=中古車市場の例が夕飯有名である)。このような非対称性は公正な取引や取引関係者全体の利益を損ねるので、是正すべきものである。
では〝男女の非対称性〟といった場合はどうだろうか? これは男性と女性とではそれが sex であれ gender であれそもそもの way of life に基盤的な違いがあり、価値観や感受性に違いがあり、その結果として集団における立ち居振る舞いや同性・異性に対する態度も異なってくることをよく理解しましょうという文脈でみかけることがある。男女で違いがあったとしても、それはそもそもの生き方の前提や評価軸が異なるのだから、理解と配慮を持って寛容になるべきだという話にきこえる。
男女差別と比較して筋の通るように考えてみたいが、同じ評価軸で考える必要があり、性別という動かしにくい属性が課題に関係していない場合は他の条件(他の属性)が同じなら同じように評価することで男女差別を回避できる。他方、異なる人の間(例えば健常者と障害者)との間に軸の違い、すなわち非対称性がある場合でも、同じ軸に載せるための便宜を合理的な範囲ではかるというのが非対称性に対する理解と配慮であり、それは差別するかしないかより手前の基盤整備であるということだろうか。
私には差別と非対称性は衝突しがちな概念にみえるのだが、みなさんはどう考えているのだろうか。
(1,183字、2023.12.22)