哲学道場242「負債」 the Dojo 242
哲学道場というサークルで経営哲学・会計認識論について発表をおこなった。ここには日記として周辺的なことを書く。
今回は極太のホワイトボードマーカーを持参した。画数の多い字は書きにくいものの、視認性や写真写りは非常によくなった。なぜ持参したかというと、会場に備え付けのホワイトボード用のマジックでは濃さや太さが物足りないと感じていて、前回も新品のマーカーを持って来て使ったのだがそれでも太さが足りなかったからだ。
今回の発表原稿は哲学科学生向けのレポート指南本("Writing Philosophy")で提案されていた構成(下記画像)をそのまま踏襲(とうしゅう)した。特に予備的な説明である主題の背景 Background の記述に力を入れた。それによって、まず「借り」というあいまいかつ日常的な概念を倫理的カテゴリ・法律的カテゴリ・会計的カテゴリの交差点として位置づけ、次に、他のカテゴリではどのような用法やイメージとなっているかを確認し、さらに、会計的カテゴリに絞った負債としての「借り」に話を限定して論じるという、主題の段階的な絞り方 narrowing ができたのはよかったと思う。なぜならば、以前の私であれば、会計的カテゴリに話を絞ろうとしても、法律的カテゴリや日常的カテゴリといった他のイメージに振り回されて連想ゲームをしてしまい、論点が拡散してしまっていたからだ。頭がわるい。
ほとんどの概念がそうかもしれないが、「負債」というのは実務で運用される言葉であるので、本質規定などの自覚の無いまま前例踏襲で運用され、従来の運用でトラブルがあるたびにその内容がアドホックに更新されていく(例えば特例や列挙型定義がはびこる)。別にそれはそれで今現在もこれからも実務は回っていくんだからいいじゃないかという感想もあるかとは思うが、学術的に「負債」の本質をつかみ、定義しようとする試みから撤退することは容易いが、トラブルが生じて曖昧なものが出てきたときに識別できるだけの概念的な解像度を持たせたい(持ちたい)という思いはある。
会計言語の中でも「資産」側の言語・物語は充実しており、それに比べて「負債」側の言語は貧困だという話も一応西澤氏の本で読んだのだが、今回はそもそも「資産」側の言語がいかに発達しているかを解説できなかったため、それに比較して「負債」側が貧しいという話もできなかったのが残念である。
発表原稿の下書きをみた方から批判をもらっており、私自身おかしなことを書いたり雑な部分もあったと思っているので、個別回答の上で原稿をバージョンアップしたい所存である。自分の主張を縮小・後退させざるを得ないかもしれない。
(1,116字、2024.01.13)