自己抑制は難しい
自己抑制は難しい。なぜならば、自己抑制すべき状態であることを自覚すること、かつ、抑制すべきタイミングを見極めること、かつ、実際に抑制するという何かを「しない」ことを選択せず、かつ、その後にしなかった自分をなだめること、これらのことによって注意力を消耗するからである。言い換えれば、もし、自己抑制すべき状態を自覚できなければ無自覚に意地っ張りで防衛的な状態が継続するし、タイミングを誤ればダメージは拡大するし、「しない」を選べないとは一言多くて相手も自分自身も傷つき損するし、「しない」を選べなかった後は「やらなければよかった」と後悔することになるからである。
例えば、飽くまで筆者=深草の場合だが、思想信条があまりにも違うとか、反対に自分とその場での役割やキャラがあまりにも重複しているとか、普段の言動や投稿にどうしてもイラ立ってしまうとかだと、その相手と積極的に会話しようという気には成れない。会話するとしても、警戒したり防衛的もしくは事務的になってしまう。そして、そのような緊張した態度がまた相手にとって悪印象を与えるおそれもある。しかし、相手とミスマッチなことはもちろん相手のせいではまったくない。ただの私の勝手な好き嫌いに過ぎない。だから、相手を責める理由も正当性もひとつもない。したがって、不必要な会話は回避する。なぜならば、無理に話すともめそうだし、おそらくもめてしまう原因を自分自身がつくりそうだからである。かつ、私もわざわざ自分自身を悪者にしたくはないし、興奮して醜態をさらしたくないし、そのプロセスで相手を含めた誰かを不快にさせるとしたらなおさら誰も得しないからである。
自己抑制は難しい。だから、自己抑制をしなければならない状況をまず回避することがたいせつである。自己抑制しなければならない場所、つまり自分が何かを慎んでガマンしなければならない場所から立ち去ることができれば、それに越したことはない。ただ、もちろんそこにいるべき理由や原因や義理があるからそこにいるはずである。相性の悪い相手との同席はもちろん回避したいが、立ち去ることをためらう理由がたいていそこにあるのだ。その理由は例えば、相性の悪い相手が相性の良い相手と先に同席しているからといったものだろう。しかし、その場合でも、とにもかくにもその場を離れた方がいいには違いない。なぜならば、やはり相性の悪い相手がいることによって刺激を受けてしまい、相手に非が無いにもかかわらず私はカンシャクを遅かれ早かれ起こすだろうからである。そうなればすべてが台無しだ。誰もそれを望まない。
ただ、そのようなケースでもやはり相性が悪くない他の人々に納得してもらえるような、少なくとも不審に思われないようなもっともらしい理由をつけて退去できたら、それが一番理想的だろう。一方、「自分よりも先に相手の方が立ち去ってくれるのではないか?」などという、まったく都合のいい希望的観測も自分自身の中で頭をもたげてしまう。そんな都合のいいことは起こらない。そんな自分に都合のいいことに気を迷わされている限り、私はトラブルを起こし続け、悔いの念が絶えないだろう。
十分に休んで果断な判断力を持つか、もしくは興奮した私を止めてくれる後見人のような人をお供にしてから、人がいるところに足を踏み入れるようにしたいものだ。
(1,377字、2024.06.11)