人生をもっとオーガナイズするにはどうしたらいいだろう? あるいはモンゴル帝国軍と自己啓発。

モンゴル帝国軍の動画をみた。モンゴル軍はよく知られているように、数種類の騎兵によって構成された軍隊であり、ユーラシア大陸を疾駆(しっく)して、広大な範囲の包囲殲滅(ほういせんめつ)や外線作戦を執り行なったという。彼らは大軍を幾つかに分割して進軍するのだが、部隊と部隊との間隔は最大で1,000kmにもなり、しかしそれでいて部隊同士は特別に編成された早馬の伝令部隊によって活発に情報交換がなされていたので、13世紀の世界の水準では考えられないほどの組織的な動き、モンゴル軍全体が〝ひとつの生き物〟のように機動できていたのだという。

一方、まったく別の話ではあるが、私自身の身体も〝ひとつの生き物〟である。では果たして私自身の身体は果たして歴史が語るような軍事的に優秀なモンゴル軍のように動けるだろうか?というと、まったくそうではない。ひとつの生き物なのに、例えば、全然昨日の自分と今日の自分、今日の自分と明日の自分とが全然協力できてない。我々は集団が一定の秩序にしたがって整然と一律に計画的に動くのを見ると感銘を受けるが、それは一人の人間はそもそも一人であるにも関わらずそのような訓練された集団よりも混乱した動きしか示さないからだろう。

軍隊は強力である。それは同じ人数の同じ筋力の人々の集団よりも強力な暴力である。なぜならば、軍隊に配置された兵隊は武器防具を装備しており、それらをどのように使うか、そしてお互いの暴力をどのように利用して協力するかを訓練によって理解し、また実践できる能力と意志を共有しているからである。言い換えれば、軍隊は(1)専用の道具を持ち、(2)統制されているから強力なのである。

では「私」を強力にするにはどうすればよいだろうか? まずもって「私」は様々な部分に分割できるから、それらを識別することが必要である。なぜならば、それらの部分がうまく協調していないから「私」の力はバラバラな方向に働き、弱いままになっているからである。

だから、まず識別である。例えば左手と右手とを区別してそれぞれ別に動かすこともできるし、昨日自分の腕で掘った穴を今日の自分の腕で埋め戻すこともできる。あるいは、昨日掘ったをさらに深く掘るということもできるだろう。このようなひとつながりの身体の諸々の部分という空間的な区別と持続する私の諸々の時間帯という時間的な区別をおこなった上で、それらに(1)共通する装備を与えること、そして、それらの装備を活用して、(2)ひとつの目標・目的のために計画的に決めた使い方を身体の各部分、そして時間の各部分において実践することで、「私」はもっと強力になる。つまり、目標や目的を実現できるようになり、さらに多くの種類の目的を実現可能にしたり、早期の実現を可能にしたりできるようになる。

では「共通の装備」とは何だろうか? 例えばそれは問題集である。昨日の自分と今日の自分で同じ問題集を使って学習すること、今日の自分と明日の自分が同じ問題集を使って学習することは重要である。また、左足と右足に同じ靴と同じ靴下を与えることである。左半身と右半身で著しく異なる格好をしていては左右の調子を合わせることができないからである。一方、我々は地球という惑星の中で昼夜を経験し、それにもとづいて起居するわけであるから、日中の仕事では「作業着」という装備を装着し、就寝するときには「パジャマ」という装備を装着する。異なる機能の装備を適切な時間帯の自分に装着させることによって、自分にとって快適な状況を作り出しているのである。

次に計画的実践についてであるが、これは「私」という一貫性を識別した各部位が協力することによって実現することである。例えば、先月の私が学んだ教科書を今月の私も使い、それを来月の私が復習して、来年の試験に合格する。これも各時期の私同士がひとつの目標に向かって力を合わせたことによって試験合格という達成を獲得できたわけである。

このように、軍隊の装備統制と個人の生活には類似点がある。それでは成功した軍隊の動きや慣習をみて、そこから個人生活に取り入れられるようなおもしろい発想はないものだろうか? このようなことを最近は妄想している。

(1,728字、2024.10.03)

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