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マニューバーの誤解

「マニューバー」という言葉の妙味に、どれほどの日本人が気づいているのだろう、と。ある日のこと、私は友人から不意にこう言われた。「彼は組織の中でのマニューバーに長けている」と。その言葉の響きに、私はふと引っかかった。「マニューバー」とは何だろう?彼の言葉が頭にこびりついて離れない。

夜の帳が下りた頃、私は机に向かい辞書を引いた。そこには「maneuver」とあった。海兵隊が使うという「機動」の概念。それを知った瞬間、私の中で何かが動き出した。いや、動き出したのではない、形を変えたのだ。日本語における「機動」の訳語の重み。どうしても「動」という文字が「物理的な移動」に結びつき、視野を狭めてしまうのではないか。これが私の問いだった。

だが、友人が言った「組織の中でのマニューバー」とは、どうもそのような単純な「移動」の話ではない。人間関係や権力争いの中での駆け引き、立ち回り、それこそ心理戦のような、見えない動きが含まれている。私は考える。「物理的な移動」とは無関係なこのニュアンスをどうやって伝えればよいのだろうか、と。

その夜、私は友人に手紙を書いた。「君が言った『組織の中でのマニューバー』という言葉について考えてみたのだが、日本語の『機動』という訳が、どうもこの概念を狭めているのではないかと思うのだ。『動』の字が固定観念を生み、物理的な移動に引っ張られてしまう。しかし、君の言葉に込められた意味はもっと広い。『駆け引き』や『心理的な動き』を含むものではないだろうか?」

翌日、返事が届いた。友人はこう書いてきた。「まさにその通りだ。君が言うように、僕の意図は心理的な動きだ。それが戦略的であり、なおかつ繊細なものだと伝えたかった。ただ、『maneuver』をそのまま訳す言葉が日本語にないことが問題かもしれないね」。

その手紙を読んで、私は少し安心した。そして同時に、言葉というものの限界について改めて考えさせられた。言葉は我々をつなぐものでもあり、同時に誤解を生むものでもある。しかし、だからこそ人は言葉に思いを込め、工夫を凝らすのだろう。

私は再びペンを取り、こう記した。「固定観念を壊すには、まずその観念を知ることから始めなければならないのだろうね。そして、その上で新たな言葉を見つける旅に出ること。それが僕たちにできる唯一の『マニューバー』なのかもしれない、と考えた次第だ」。

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