「Win-Lose」思考の再考 ──個人主義と「誰も得をしない」構図の行方──
はじめに
近年、「Win-Win」や「Win-Lose」といった概念がビジネスや日常会話の中で広く用いられるようになった。これらは一見して競争や交渉の結果を単純に「勝ち・負け」として捉えるフレームワークである。しかし、「Win-Winを達成したい」「Win-Loseを回避すべきだ」といった意識が浸透する一方で、社会には「誰も得をしない」あるいは「誰もが損をする」――いわゆる「Lose-Lose」――という状況が少なからず存在する。本稿では、こうしたLose-Loseの可能性に着目しつつ、現代社会における個人主義の広がりがWin-LoseやLose-Loseの構図をどのように生んでいるのかを再考する。さらに、個人があえて「Lose」を引き受ける選択に一定の意義が見出される場合や、それが社会や組織に与える影響についても検討したい。
1. 「Win-Lose」思考の普及とその背景
1.1 「Win-Win」「Win-Lose」への関心
ビジネスシーンや自己啓発セミナー、さらには人間関係一般において、「Win-Win」の関係を追求しようとする姿勢は広く推奨されている。その一方で、「Win-Winは視野が狭いから第三者まで含めた“三方よし”を目指すべきだ」あるいは、「同じWinでもBig WinとSmall Winが存在するので、大きなWinを自分の側に引き寄せるべきだ」といった発想も散見される。これらの議論は、結果として「勝ち・負け」という二元的な価値観を強く意識する状況を作り出している。
1.2 「自分はいつもLose側にいる」という感覚
筆者自身、勝ち負けの概念に興味をもち調べる機会が多かったが、振り返ってみると「自分はいつもLose側にいる」と感じてきた経験がある。その理由として、組織内の地位や収入など、社会的に一般に「勝利」とみなされる成果を得ていないという事実に起因する。しかし、「自分がLoseだからといって、誰かがWinしているわけではない」という状況もしばしば起こりうることに気づいた。
2. 「誰も得をしない」という現実
2.1 Lose-Loseの実例
子どもの頃、「世の中はシーソーゲームのように、誰かが下がれば誰かが上がる」というゼロサム的なイメージをもっていた。しかし、実際には天災や事故、戦争や犯罪などによって、人命や資産が無為に破壊される場面が多々あり、決して誰かのLoseがほかの誰かのWinにつながるわけではない。特に、破壊された人やモノは二度と元に戻らないため、「誰も得をしない」あるいは「全員が損をする」ケースが現実には多く存在する。
2.2 「誰も座らない席」の metaphor
満員電車であえて席を譲るつもりで立ち上がったのに、その後、誰も座らずに空席が放置されることがある。言い換えれば、自分が遠慮してLoseを選択しても、その結果として誰かがWinを得るわけではない。これをより広く捉えると、社会全体で見たときに「Lose-Lose」の構図が生じやすい状況は少なくないことを示唆している。
3. あえて「Lose」を引き受けることの意味
3.1 ゼロサムよりはましな結末への期待
自分がLoseに甘んじる以上、誰かがWinを得て、社会全体で見ればプラスマイナスゼロ(ゼロサム)に近づくほうが、まだ「無駄死に」ではないと感じることがある。たとえば、会社組織のなかで自分が負担を被っても、同じ組織内の他者が負担を軽減できるのであれば、そこに意義を感じて業務を続けられる。
3.2 カスタマーハラスメントとLose-Lose
近年、「顧客による過剰な要求」が問題化し、カスタマーハラスメント(カスハラ)という言葉が一般にも知られるようになった。企業や行政機関に完璧なサービスを求め、妥協を許さない姿勢は、結果的に担当者の負担を増大させ、顧客自身にとっても満足感が得られない「Lose-Lose」を招きやすい。研修等によって予防策が講じられる一方、この問題はまだ解決に至っておらず、誰も得をしない状況の典型例といえる。
4. 個人主義の台頭が生む「損切り」思考
4.1 完璧主義と妥協なき「損切り」の背景
現代社会では、個人主義が浸透するなかで「自分らしさ」の追求が推奨されている。一方、利用可能なサービスや出会いの機会(たとえば婚活・マッチングアプリなど)が爆発的に増えたことで、「少しでも期待と違えば即座に損切りして次に移る」という行動も正当化されやすくなった。結果として、相手がわずかでも不調なら深い関係を築く前に関係を絶ち、求める“完璧”を追い続けるケースが増えている。
4.2 個人主義と「Lose」の意義の希薄化
かつては「自分は損をしても家族や会社のために尽くす」という考え方に共感する人が多かった。しかし、個人主義が強まると、「自分がLoseを引き受けることで誰かがWinになる」というローカルな文脈は、積極的に捉えられなくなる。その結果、個人同士がお互いLoseを回避しようと合理的に動いたはずが、最終的には「Lose-Lose」に陥るという皮肉な事態が生じやすくなる。
おわりに
本稿では、「Win-Win」や「Win-Lose」という二元的な価値観にとどまらず、「誰も得をしない」「全員損をする」というLose-Lose状況の実態に注目した。現代社会における個人主義の浸透は、完璧を追求する姿勢や妥協なき損切り行動を後押しし、結果的に誰もが損をする構図を生み出すことがある。
一方で、同じLoseであっても、それが自分以外の誰かのWinにつながる可能性が見いだせるなら、人は少なくとも自らの行動に意義を感じることができる。どのような状況であっても、社会や組織全体の視点を意識し、Loseを「受け入れる・引き受ける」意義を再評価することが、真の意味での「Win-Win」あるいは「三方よし」へとつながる一つの手がかりとなるのではないだろうか。