冬きたりなば
冬来りなば、春遠からじ。
「この辛い局面がんばったら、いいことあるぜ」的な、無責任極まりない格言ですが、この言葉に見られるように、時折、冬という言葉はネガティブな事柄の比喩表現で用いられることがあります。
寒さでありとあらゆる生命活動が停滞している状況が、失敗・挫折・絶望などの表現にマッチしたのでしょうか。これに対応して、草木の芽吹き・温暖な気候などから、春は幸福の象徴かのように扱われているように感じます。「人生に春が来た」などという大仰な表現があるほどですし(日常生活では耳にしませんが…)
このニュアンスはなんとなくわかるのですが、現代、そして自分の経験に当てはめると一概には言い切れないよなぁなどと考えてしまいます。
高校時代までは雪国で育ったので、しっかり冬らしい冬を送ってきました。確かに、寒かったり、雪で自転車に乗れなかったり、路面が凍ってるので転んで痛かったりと辛いことも一定数ありましたが、雪遊びや、夜道のオレンジの街灯(雪が降ってる時、すごく綺麗に見える!)、夜間に家のそばを通る巨大な除雪機など、印象的で心温まる思い出もたくさんあります。なので、無条件で冬をネガティブ認定できないのです。冬の気持ちも考えてみたりして。
一方で、僕の数少ない友人が春について面白い感想を話してました。春は新生活が始まっていろんな人の不安な気持ちにあてられて、こっちまで具合が悪くなるから嫌いだ、とのことです。新生活の枕詞(?)は「期待と不安」ですが、繊細な友人は不安にフォーカスしてしまうようです。
遠からじと切望した春が嫌いとなると、やってられませんね。実際問題、辛いことは年間通じて季節を問わずにやってきますからね。不意に。それなのに、冬ばかりネガティブ担当にされるのは可哀想ではありませんか…?そうでもないですか。ちなみに、私は秋が好きです。晴れの日が多い気がしますし、気候がちょうどいいので。
うだうだこねくり回しましたが、「辛いことがあったらいいことがある」って嘘でも思えるメンタリティは素敵だと思いますし、そう思える精神力が心の底から欲しいです。目指せポジティブ人間。
別件ですが、この前のKIRINJIの配信ライブで演奏された「パレードはなぜ急ぐ」が信じられないくらい良かったです。絶対にありえないですが、今の感じでHome Groundの再現ライブとか見たいなぁ。
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