Dabcing Shoes
かなり物持ちがいい方だ。電池が切れる2年前くらいまで中学校の頃から使っていたG-SHOCKを巻いてたし、昨年末の祖母の葬儀には高2の文化祭でマイケルジャクソンを踊った時に身につけた黒いネクタイで参列した。今夏、断捨離をした際にようやく処分した冬用のコートなんて、いつから着ていたか分からないほどだ。つまるところ、物が捨てられない性分なのである。私と同じようなタチの先人たちが付喪神信仰を作りあげたのだろう…などと思ってみたりするが、単にだらしなく未練がましいだけなのだ。
そんな具合にありもので怠惰に暮らす私だが、久々に靴を購入した。スニーカーだ。振り返ってみると3年ぶりくらいであった。平日はいわゆる革靴を履いていて(そういえば革靴ももう4年半履いてるな…)、休みの日もあまり出かけないので普段使いの靴を半永久的に履けてしまうのだ。いや、履けてしまうと思っていたが正しい。
購入の経緯は、とあるライブに起因する。仕事終わりに見に行ったライブで出演アーティストが履いていたスニーカーがメチャクチャかっこよくて「これだ!」と衝撃が走った。好きなアーティストが身につけているものを自分も…みたいなことは何となく恥ずかしくて今までやったことがなかったのだが、アラサーになってまさか発動するとは夢にも思わなかった。ライブの日にSNSで検索して、すぐに現物を特定できた。いや、いい時代になったものだ。ややストーカーチックではあるが…著名人のアイテムゆえ、流石にまあまあお値段がはる。普段のスニーカーの2〜3倍くらいの価格だ。正直、この時点では購入するか否か気持ちが揺らいでいた。
ライブから数日後、友人と食事をする機会があったのだが、待ち合わせまで時間に余裕があったので、集合場所近くでふらふらと時間を潰していた。何となく歩いていたので、「あの靴」のことなど頭の片隅にもなかったのだが、たまたま入った靴屋で不意打ちを喰らう。「あの靴…ッ!」普段なら、如何に話しかけられないようにしようか思いあぐねる店員さんに、自分から食い気味で話しかけ、試着させてもらった。自分史上、こんなことはない。快挙だ。そして履いた瞬間、驚いた。何という履き心地だ…良すぎる。試着によって価格に逡巡していた自分はどこかに消え去り、購入を即決していた。お金ないのにね。
仰々しい紙袋を抱えて飲み屋に赴くと、友人からはもちろん訳を聞かれる。食事の前に買い物をしたことを突っ込まれるかと思いきや、3年ぶりに靴を購入したことに対して集中砲火を受けた。みんな1年くらいで結構買い替えてるのね。世間的にはどうなのだろうか…
試着したときに感じた衝撃はもちろんいい靴だったということもあるだろうが、それまで履いていた靴をだいぶ履き潰してしまっていたのだろう。長年使うことも素晴らしさもある一方で、惰性で使い続けることで現状を把握できなくなってしまうこともあるようだ。瞬間的な変化に比べて、緩やかな変動はキャッチがしにくい。常にとは言わないが、折に触れて現在地や状況を確認できるようにならなくてはと痛感する。もちろん新しい良さも取り入れながら。いま抱えているもの大切に末長く、メンテナンスをしながら使っていくことは前提として。
昔読んだ『花より男子』で靴に関する素敵なセリフがあったと記憶している。多分、小学校のころに読んだのでいまでも脳内に残ってるのは自分にとって、相当印象的だったということだろう。「いい靴を履いたら、その靴が素敵なところに導いてくれる」といった趣旨のセリフだったはずだ。うろ覚えなので読み返さなくては…「あの靴」を履いたとき、「踊るような」ステップでどこまでだっていける気がした。
https://music.apple.com/jp/album/dancing-shoes/111153953?i=111153440
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