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日曜の夜ぐらいは…|コンビニで一番高いアイスを食べるご褒美を、自分に
ドラマ『日曜の夜ぐらいは…(以下、「日曜」)』が好きで、毎週見ていました。
性別も年齢も関係ない、こういう友達や家族っていいなと思えたり、今の時代を頑張って生きる人の背中をそっと押してくれたりするような作品でとても良かったです。
2023年上半期は「だが、情熱はある」「日曜劇場 ラストマン」などのドラマにはまり、毎週の楽しみになっていました。
自分へのご褒美を許す
「日曜」では、主人公であるサチが生活の中で疲れて辛いことがあったときに「コンビニの一番高いアイスを食べる。」というシーンが描かれています。
ドラマ内では、「幸せになることが一番の復讐だから。」とか、「絶対幸せになってやる…!」など「私たちは幸せになるんだ。」という意思を込めたセリフが多いんですよね。
これは肌体感で感じたことですが、『だが、情熱はある』でも主人公が言う「今、幸せなのだろうか。」や、「私は幸せだったよ。」といったセリフが多く、「自分は今、幸せかどうか。」を確かめる場面が印象的に描かれていました。
ふと、こうした「自分たちは意識して幸せになっていきたい、ならなければいけない。」という気持ちが含まれているストーリーは、最近の社会の雰囲気ゆえに増えた傾向があるのかな?と感じました。
言葉の裏を返せば、「幸せを掴むことは、受動態のままでは難しい」ことの表れでもあるのかなと。
ドラマに出てくる主人公や、その周りの登場人物は人生の中で苦しい場面に出会ったり、過去のトラウマに向き合ったりしています。
でも、そんな中でも心から楽しめる友人ができたり、自分たちのカフェを開くという夢を叶えていったり、自分たちなりの幸せを見つけていったんですよね。
小さな幸せは自分でつくれる、かもしれない
「日曜」でサチがはじめの方に「コンビニの一番高いアイスを食べる」ことで幸せを見出したように、「幸せは自分の手でつくっていくもの」という一つのテーマが提示された気がします。
そして、もう一つ付け加えるならば、身の回りにある何気ない出来事を幸せだと捉えるハードルを下げることも重要なのではないかと思いました。
例えば、私は天気が晴れていると気持ちが高まるし、町で赤ちゃんを見かけると幸せな気持ちになります。それが、たとえ誰かにとっては些細なことだとしても自分はそう感じることが多いです。
もし、「○○をしなければ私は幸せになれない。」という条件を自分に厳しくかけているならば、幸せになるという状態がまるで遠くにあるゴールのような気がし、達成まで難しいように感じます。
”生まれ変わるなら、また私だね”
さて、先日の最終回ですが、ほんとに良かった…。
エンディングで主人公のセリフにすごく励まされた上に、「生まれ変わっても、また私だね。」という言葉が心に沁みました。
ちなみに、主題歌だったMrs. GREEN APPLEの「ケセラセラ」には、こんな歌詞が出てきます。
でもね
今日はちょっとだけご褒美を
わかっているけれど
私を愛せるのは私だけ
生まれ変わるなら?
「また私だね」
「2023年の今を生きる私たちも、皆も、強く美しい。」と背中を押してくれるような作品でした。
きっと日曜の夜の放送で、元気をもらえた人も多かったのではないでしょうか。
日曜の夜ぐらいは…
さて、ドラマ「日曜」では「日曜の夜に死にたくならない人は、幸せな人だと思う。」というセリフも印象的で、心に残っていました。
去年、私は「仕事は楽し”み”、ですか?」というnoteを書きましたが、日曜の夜に「月曜日が楽しみに思う人」は、たしかにそれだけで1ポイント幸せなのかもしれないです。
でも、そうでなくても必死に月曜日に起きて、学校や会社へ出ていることだって絶対すごいわけで。
そんなことをドラマを見てつらつらと考えながら、今日はコンビニで高いアイスでも買って帰って、明日からまた頑張ろうと思います。
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