見出し画像

和歌山最後の海苔師が語った和歌山のノリ産業の終焉

「和歌海苔と/共に去りゆく/姉姿」山下さよこさん(享年92)

 

 山下さよこさん(享年92)。家業は祖父の代から続くノリ農家。2005年に和歌山県内のノリ農家が全て廃業したその時まで、ノリの栽培に携わった。

 私が彼女にノリ栽培の話を聞いたのは2018年のまだ寒さの残る3月のことだった。「さーむい時に腰まで冷たい水に浸かって作業するんや。」そう語る彼女の口調は齢90とは思えないほどにしっかりしていた。また、詩吟も習っていたといい、私に朗々と唄って聞かせた。その豊かな才は、言葉の端々にも見られた。

 古式捕鯨とその終焉を描いた「深重の海」(直木賞受賞)で知られる津本陽さんの生家と近く、旧姓も同じことから気になって尋ねてみたところ、親戚ではないものの同い年でよくご存知だった。

 彼らが育った和歌浦は海辺に干潟が広がる自然豊かな場所で、その美しさから夏目漱石など数々の文人が訪れ、遥か万葉の時代からその風景が歌に詠まれている。

 しかし、その風景は文人に愛されるだけにとどまらず、地元の人々に恵みをもたらした。和歌川が流れ込み、干潟が広がる地形の和歌浦湾は、漁業はもちろんノリ養殖が盛んだった。かつては100軒ほどノリ農家があったという。そんなノリ養殖の作業で正念場が訪れるのは、ちょうどこの今の時期だ。

 まず、11月初めごろにはノリの養殖の中でも特に重労働の「上げ下げ」という作業が行われる。ノリの養殖では竹にノリの胞子をつかせて育てるが、そのつき具合を見てノリがよくつくところに竹の植え替えをする。その作業が「上げ下げ」だ。
 

 そして、末ごろからはノリの採取が始まる。最初に採取する新ノリは味や香りもよく、値段も倍ぐらいになったとか。そうして採取されたノリをミンチ状にして漉いていく。その後、天日干しにして乾かすことでノリが出来上がる。もともとはそれらも手作業だったが、阪神淡路大震災の年、1995年に全自動乾燥機を導入した。

 その震災の年、山下さんの姉が彼女に「もうそろそろ(ノリ栽培を)辞めや」と声をかけたそうだ。震災が起こると、津波が来る。海で仕事をするのは危なかろう。そう気づかってのことだろうか、と彼女は笑っていた。それでも彼女は仕事を続けた。

 しかし、それから十年経った2005年。年々不作が続いていたが、とうとう全くできなくなった。

「もうこれはあかんな。」

 同業者とそう話した山下さんはついに廃業を決めたのだった。その時、まだ存命中だった姉に廃業したことを告げると、安心したように彼女はまもなく息を引き取ったという。その時、山下さんはふうっとあの冒頭の歌が浮かんだ。

「和歌海苔と/共に去りゆく/姉姿」

 そして、それから15年経った今年5月。彼女もまた92年の長い長い人生を終えたのだ。私はずっとこの記事を書けずにいた。どうにもこうにもまとまらず、筆が進まなかった。しかし、その訃報を聞いてから、こうして記事がまとまった。

 青春時代を太平洋戦争中に過ごし、高度経済成長期には和歌川の工場排水による公害問題などにも積極的に関わり、ノリ産業を守ろうとしてきた一人の女性がこの令和の始まりを見届けて息を引き取ったのだ。

海苔の香探す、不老橋にて。


和歌ノリの復活を祈って。

(写真:不老橋から和歌浦天満宮を望む・不老橋)

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?