特集 能登半島の今
地震と⽔害に⾒舞われた被災地にもっと関⼼を
令和6年1⽉に起こった能登半島地震から260⽇余りの9⽉下旬。何とか復興へ向かおうとしていた最中に、同じ地域を今度は豪⾬災害が襲った。⽉⽇の経過とともにメディアでの報道も減りつつある⼀⽅、現地で活動する ボランティアの声はSNSを通して今も変わらず届き続ける。「実際の現場に⼊って能登の今を確かめたい」。そう思 った私は11⽉初め、⼤学教員らの現地訪問に同⾏した。(⿊沼 優樹)
「⼆度経験すると、トラウマになってしまう」
⽯川県輪島市⼤沢地区。⽇本海に⾯した⼩さな集落は、地震と⽔害で⼆度も孤⽴集落となり、住⺠はヘ リで救助された。道路は今もがれきで埋まっており、⾃宅を訪ねる男性たちは40分ほど歩いてたどり着 き、写真を撮ったり、荷物を整理したりしている。⼈がいなくなり、戻るたびに多数のイノシシがそこら 中をのし歩いているという。⽔害後、住⺠の⼀部は⼆次避難で和倉温泉の旅館に⾝を寄せている。そんな ⼀⼈の70代⼥性に話を聞いた。「地震は半年前から珠洲の⽅で少し起きていたのでもしかしたらと思い 備えていました。被災した家を修理しようと業者にお⾦を払った後で、⽔害が来て⼟砂が⼊ってきて、ま たやり直しに。⼈間、⼆度も経験するとトラウマになってしまいます」。道路の復旧と家の再建のめどは 依然として⽴っていない。
「⼀⼈でいると、⾊々考えてしまうから」
仮設住宅に⼊っている住⺠もいる。仮設の公⺠館に伺うと、⾼齢の⼥性たちが10⼈程集まって卓球を 楽しんでいた。⼤沢地区では4年前から卓球が盛んで、多くの愛好者は災害後も続けている。今も毎⽇の ように⾏われており、体が不⾃由な⼈も応援や得点板の係として参加している。「地震の後は3か⽉ほ ど、⼆次避難で⼭城温泉の旅館にいました。寒くてお⾵呂もない体育館からいきなり移って、⻯宮城に来 たような気分でした」。そう語る70代の⼥性も、今後に不安を抱える。「やっぱり⼀⼈で部屋にいてテレビとか⾒ていると、これからどうしようとか⾊々考えてしまうからこうやってみんなで集まっています。少しでも楽しくいられるように」。仮設住宅の居住期間は2年までだ。⼤沢に再び帰れるかもわからない 中、住⺠たちは今を楽しむことが精いっぱいのように思えた。
「もっと⼤学⽣にも来てほしい」
現地でNPOの受け⼊れのコーディネートを⾏う30代の男性は、⼀般の災害ボランティアと同様に、⼤学⽣にももっと来てほしいという。阪神淡路⼤震災や東⽇本⼤震災では、⼤学の研究室が倒壊家屋の調査 を受託したり、⼤学がボランティアバスを出したりするなど積極的に動いたことで、被災した⼟地と住⺠ に直接関わり、被災した⼟地に関わる⼈々の熱意に⼼打たれた若者が多かったという。能登の課題として たびたび指摘されている「ボランティアの受け⼊れ体制の不⼗分さ」も、現地のコーディネーターが増え ていくことで解消へと向かうのでは期待される。災害を通して多様な⼈材が⽀援に⼊り、地域が災害前よ り活性化するような未来へ向かってほしい。
「南海トラフ巨⼤地震では私たちも」
現地に⾏って率直に感じたのは、「復旧が全然進んでない」という事実だった。いまだに断⽔している地域もある。これは半島という不利な⽴地のゆえなのか。紀伊半島もまた、地震の際には能登の様に復興 に時間がかかる可能性が⼗分にある。東⽇本⼤震災の際、現地に⼊った和歌⼭⼤学の学⽣団体「Prism」 がまとめた冊⼦にも「次はあなたたち」という被災者のメッセージが伝えられている。今年8⽉8⽇には 「南海トラフ地震臨時情報(巨⼤地震注意)」が初めて発表され、気を引き締めさせられたのは記憶に新 しい。明⽇は我が⾝。まずは遠くで起きた被災地の現実に「関⼼を持つこと」が、今すぐできる⽀援であ り、未来への備えではないだろうか。
別冊 和大新聞(2024年11月25日発行)