食らうことと読むこと、そして生きること
何でも食うことにかけては右に出る者はいないと自負している。
太地の「白鯨」で鯨を、その前の週に行った長野では生姜醤油で馬刺しを食った。倒れそうになりながら頬張ったそれは空腹を満たしてくれた。さらにその前に食べた鮒ずしは風味を楽しむ嗜好品だった。しかし、脂のとろけるような甘みと赤みの歯ごたえを楽しんだ鯨の刺身はまさに海の恵みだ。力が湧いてくる。
鯨を食い終わり、少しすると口の中が臭くなってきた。未だにその特有の臭いを思い出すことができるほど強烈なそれは、現代社会が失ってしまった「野性」を思い出させた。イルカのすき焼きも味付けこそ食べやすくされているものの、あの歯ごたえは他の肉ではなかなか得難い。
生きるために命と命が対等に向き合う機会が減った昨今、むき出しの感情や真っ向からの遣り取りを忌避し、飼い慣らされ去勢された言葉がもてはやされているのではないか。鯨やイルカを食らい、その匂いや歯応えを口内に感じたとき、思わず「貴様はどんな言葉を操っているのか」と問われている気がした。
津本陽の「深重の海」やC.W.ニコルの「勇魚」の舞台である太地。それらで描かれた古式捕鯨はこの地で生まれた。高台から鯨を見張る物見の知らせを合図に数十隻もの舟を出し、鯨を網に追い込む。そして、刃刺と呼ばれる男らが銛などで急所を仕留める。それが古式捕鯨である。自らの何倍もの鯨と銛一本で対峙する心持ちは想像すべくもない。
古式捕鯨を描いた絵巻には色も艶やかな小舟が鯨の巨体に勇猛果敢に挑む様が描かれている。米の出来ない太地では鯨が糧であり命綱だ。しかし、鯨を獲るのは勿論命懸けだ。自然の雄大さに比べれば人間のなんと矮小なことだろう。天災に海難と様々な困難と闘う中で、太地の人々は何とか生き抜く術を身に着けてきた。現代に至るとその術は自然をも凌駕するようにさえ思われた。しかし、それでもなお人は逃れ難い宿命に生きている。
それは、生き物を食らわずには生きられないということだ。口腔に満ちる匂いは食べ易く調理されてもなお自らが飼い慣らされることへの抵抗を訴える。死に場所となるかもしれない舟を色鮮やかに飾り立てたのも命を賭して彼らと闘う人々の矜持の表れだったのだろう。人の生きること、食べることへの執念は、人が野性から脱したとしてもなお捨てがたい希少な生物的側面だ。その宿命を知るからこそ鯨を余すところなく消費し、そして供養してきたのだ。
食べるという意味では新宮のなれずしも興味深い。海の恵み豊かな太地からさらに足を伸ばして熊野川に抱かれた新宮へ赴く。目的地は三十年もののさえら(サンマ)のなれずしが名物の東宝茶屋。予想に反して優しげな店主に対応していただいた。さえらのなれずしが本来の姿だと思い込んでいた私に彼は「川魚が本式だ、それに三十年ものを食うにはまだ早い」と言う。そして、川の匂いがするだろうからとさえらのなれずしを勧められた。しかし、鮒ずしを食べ、その香りに魅かれていた私は鮎のなれ寿司を購入した。
口に放り込むとすぐにご飯が蕩け、魚の旨味とほのかな香りが広がる。うまい、と思わず唸った。空腹も手伝って次々に切れ端を口に放り込んだ。勿体ない食べ方かもしれないと思ったが、後の祭り。残っていたのは寿司を包んでいた竹の皮だった。鮒寿司にしろなれずしにしろ、魚を保存するための手段として発達し、後々発酵させることで栄養素が増すとわかった。
生きているとは食らうことであり、その糧がまた人を駆り立てる。それはいつの時代も変わらない営みだ。近年、肉を食べるという行為自体が疎まれることがある。しかし、それでも私は自分が生き物であることを忘れず生きとし生けるものを食うことを楽しみたい。そして、その業を直視しながら生きていきたい。同時に新しく生まれる食のありようも否定はしまい。「持続可能な食」のためであれば。
「大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして。」(『スティルライフ』池澤夏樹)
大阪に帰るくろしおを待つ間、夕陽に染まる新宮の町を歩いた。被差別部落出身という出自を作品に投影した中上健次の『千年の愉楽』で描かれていた路地に迷い込んだ。
そして、「中本の血」のことを考え続けている。それは極めて野性的な何かであり、この社会が消そうとしているものではないか。誰しもその「血」を受け継いでいるにも関わらず。そう思い至り、私も野の草花を見、風を感じ、そこから様々な世界に想いを馳せたいと願った。
(横矢)