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コロナ禍で問う「入館者数一辺倒」の現実

青木加苗・和歌山県立近代美術館学芸員にインタビュー

新型コロナウイルスの感染拡大は、全国の美術館や博物館、図書館など広く市民に開放されている一般の公共施設にも長期にわたって深刻な影響を与えている。今回、インタビュー時に開催中の展覧会、「コミュニケーションの部屋」を企画された青木加苗さんに美術館の学芸員という仕事について伺うと共に、現在の困難な状況にどう立ち向かい、乗り越えようとされているのかを尋ねた。

――まず美術館の学芸員を目指されたきっかけを教えて下さい。

「もともと通っていた京都の大学では実技専攻の学生だったので当初、学芸員という仕事には全く興味を持っていなかったんです。でも大学院のあと、研究室助手の時に展覧会を企画する機会があって、それが自分が思っていた以上に面白かった。思っていることを一人では伝えられなくとも、展覧会なら非常にたくさんの人に伝えることができるんだという当たり前なことに改めて気付かされ、モデレーター的な、展覧会を作る側という形もいいなと感じました」

――具体的にどういう所が面白かったのですか。

「展覧会というのは作品を展示して、解説通りに見て下さい、聞いて下さいではないんですね。一つのお題をなぞっていても、どうしてもみんなそれぞれ違う感想を抱く。そこが面白い所だと思う。誰かと展覧会を開くとなると、展覧会以外での考え方も相手とのやり取りによってどんどん変わっていって、その行為自体も面白い。さらに、その結果自分だけでは考えていなかったようなことが形になって部屋に並んで、それを他の人が見てどう思うのか、思ってからまたそのことを考えて面白いことをやりだす という可能性を秘めていると思います。また、観客全員が、こちらが期待しているほど興味を持ってくれるわけではないということも分かったし、極端な話こちらが投げた石が誰かに当たるとか、誰か一人でも受け止めてくれたら面白いなと思いますね」

――現在開催中の展覧会のテーマとなっているコミュニケーションというのは、「一緒に来た人と作品を見て感想を言い合うというよりは、各個人が作品と対話する」という意味合いなのでしょうか。

「それもありますし、今回の展示室を見て頂いたら分かるんですけど、壁に説明書きを掲げています。そこに普通はあまり書かないものですが、企画者である<わたし>という表現を使っています。今回のような展覧会では、全く違う時代に全く違う地域にいて接点のないはずだった人によって作られた作品なのに、<わたし>が横に並べることで意味を持ったりするんですね。展覧会に来た人は<わたし>とも無意識にコミュニケーションをとっていて、もちろん作者とも、一緒に来た人同士でも、とっていて、それで展覧会を見た後、家に帰る時に何かその人にちょっと刺さる所、その時じゃなくてもっと後かもしれないけれど、何かこう時間を越えて伝わるものがあればいいなと思います」

――コレクションの仕方・作品の購入はどうされているのですか。学芸員が直接作者を訪れて購入されるとか。

「いろいろ方法はありますね。まず方針があって、私たち学芸員が集めたい作品について議論した後、第三者委員会にそれを了承してもらいます。当館では作品選定委員会と言います。大切なのは昔の作品も今のものも収集し続けることです。今開催されている展覧会<野田裕示『集まる庭』>という展覧会は、野田裕示さんの作品と当館のコレクションから別の作家さんの作品を選んで展示していて、実際に野田さん自ら展示を手伝いに来られていました。また、展示作業と言えば「コミュニケーションの部屋」展の展示作業時は作者さんがフランスに居て自ら展示を手伝えないのでZoomでいろいろ指示を出してもらって、私がそれを責任を持って展示させて頂くといった形で進めました」

――新型コロナの感染拡大が続いていますが、コロナ禍以前と比べ美術館として何か変化はありましたか。

「何よりも美術館に来る人が減ったことです。その他にもいろいろありますけど、「来てね」って言いづらくなったことですね。また、申込制の<こども美術館部>という小学生限定の鑑賞会がコロナ前は人数制限無しだったのに、現在は毎回の募集人数を6人にしています。人数を超えるとお断りせざるをえなくなったし、子供たちが美術館に来て何かやりたいと思っているのに受け入れられないという現状にもどかしさを感じています。全国的なことではやはりメディアが主催に入るような大規模でかなり集客が重視される展覧会、ブロックバスター展と言うのですが、そういった数は減っていると思います。でもうちではブロックバスター展はやっていないので、その点では影響は比較的小さいと思います。新聞とかテレビとかで宣伝して何十万人来ましたなど、間にメディアが入ってくるような方法がこれまで通りではいかなくなっているはずです」

――展示される作品にも影響はありましたか。

「館によって変わるとは思いますが、さっきも言ったように今は、目玉作品一つ置いて、“今しか見られない!”みたいな集客がやりにくくなっていると思うんです。ですが、もともと美術館とは、ただの展示会場ではなくて、テーマを決めて作品を集め、それについて研究も深めていって、それに合わせて展覧会をやってみんなに見てもらう。そういった繰り返しをしていく場所なので、借りてきたものばかりで展覧会やってもそれはただの展示会場だと思うんです。ここじゃなくてもいいはずなんです。とは言え、そういった形の展覧会が日本では昔から多く催されてきました。その点、コレクションがあれば様々な切り口で紹介できますし、実は同じ作品でもテーマによっては違う意味になる、といった面白さがもっと広く知られるようになればいいなと思います」

――収束の見通しが立たないコロナ渦において、美術館に人を呼ぶための課題、展望はありますか。

「まず私自身、よその展覧会をほとんど見に行けてないです。今まではいっぱい展覧会があって、あれも行かな、これも行かなって実はしんどかったんです。正直、展覧会多過ぎというか、会期が短すぎなんじゃないのって思っている節もあって。でもこうした状況だと少しずつ会期が延びる動きも見られます。会期が長ければ、見に行くチャンスが増えるのでいいなと思います。また、日本の展覧会は集客を重視する余り次々に展覧会を入れ替えなければならなかったところもあるので、そういった部分に少しでも歯止めがかかる転機になるのではと思います。なんだか世の中的に美術館に限らず、なんでもかんでも消費行動に結びつけるみたいな所が気になります。ここで一段落おいて何を見て何を考えてどういう風に人の生き方に関われるのかということを、展覧会を企画する立場として、探ってみたい。なんというかもっと落ち着いた展覧会ができないかなと思っています。本当はこういうことに今は若者たちの方が気付いてきていると感じるのですが」

――ものごとの本質を見るってことですよね。

「世の中いろんな伝え方いろんな考え方があるんだってことを一番ダイレクトに感じられるのは美術であり、ミュージアムはそのための場所であると思うので、美術館・博物館はもっと声を上げていかないといけないなと思っています。読者の皆さんにもぜひ、美術館に来てねと呼びかけたい。別に美術館じゃなくても良いんですけど、例えば、日本人は自分のいる土地について知らなさ過ぎるのではないでしょうか。あなたの街の人口は何人?と聞かれても答えられない人が大半だと思うんです。知らないことを知ろうとするということは非常に大切で、そういった意味でも地元の美術館・博物館に来てほしいですね」

【インタビューを終えて】

印象に残ったのは、まさに今が「転機」なんだと青木さんが強く感じておられるところでした。ネガティブな側面が多い新型コロナウイルスに対し、逆に「既存の価値観を一新してくれる要因になるかもしれない」と、果敢に挑戦しようとする姿勢には、私たち学生も大いに学べる部分があると感じました。(山下)


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