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親御さんから「家では勉強させたくない」と言われました。(現役塾講師の日常)
「え?家では勉強させたくない?」
「そうです!」と彼女は即答した。その響きには、決意の強さと同時に、不安と焦りが交錯しているように感じられた。
塾の相談室の中、講師である私は一瞬、驚きのあまり言葉を失ってしまった。
冷静を装いながら、私は彼女の言葉の裏にある真意を探ろうとした。
「週に1度の塾だけで、学校以外の学習を全て支えるとなると、かなり限られた時間で成果を出すことになりますね……」
「もちろん、塾に任せきりにしたいわけではないんですよ?でもね、家では勉強をさせたくないんです。矛盾してますよね……でも、これが本音なんです」
静寂が支配する相談室に響くその声は、私の胸に深く突き刺さった。彼女の心の内に潜む葛藤が、私にも伝わってきた。
受話器の向こうから聞こえる彼女の声には、母親としての悩みが色濃く映し出されていた。
「お子さまの将来を真剣に考えていらっしゃるからこその悩みなのですよね」
私は心をこめて言った。
「そうなんです。うちの子、小学3年生なのに……まだ九九も怪しいし、図形の問題になるともう……このままじゃ大変なことになりそうで」
その言葉の後に続く深いため息が、彼女の心の重さを物語っていた。実は、彼女は以前からクレーマー気質だと噂されている親だった。上司からも「対応には気をつけるように」と何度も言われていたことを思い出し、心の中で自分を鼓舞した。
「もちろん、できる限りのサポートはさせていただきますよ。ただ、やはり家庭でのフォローも重要だと思うんです」
私はやわらかい口調で話しかけた。
母親は一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐに続けた。
「でも、家では遊ばせたいんです!ストレスにならないようにしたいというか……」
「大事なお考えですね。子どもがリラックスできる環境は成長にとても大切です」
私が頷きながら言うと、彼女の不安が少しずつ和らいでいくのが感じられた。
「ただ、学びの習慣づけも同じくらい大切なんです。家庭学習での小さな積み重ねは、勉強に対する意識や自信を育てられますよ」
その言葉を受けて、母親の声には、少しだけ疲れが感じられた。
「でも、うちの子、勉強は全然好きじゃなくて……やらせると反発ばかりするんです」
私はその反応にうなずきながら、心の中で彼女の言葉を噛みしめた。これまでのやりとりの中で、彼女の思いを理解しようと努力している自分がいた。
「お母さま……!『木の芽は、無理に引っ張っても伸びません』よ」
私は自信を持って伝えた。
「……へ?どういう意味ですか?」
「子どもの成長には、その子なりのペースがあるんです。水をあげすぎても、引っぱりすぎても、芽は枯れてしまう。適切な環境と愛情があれば、必ず伸びていきます」
その言葉に、母親は静かに思案にふけっているようだった。だが、彼女の心の奥には、成績を上げたいという切実な願いが隠されていることを私は理解していた。
「でも……家では勉強させたくないのに、成績は上げてほしくて……私、わがままですよね」
「いいえ、むしろ素晴らしい考えだと思います」
私は力強く答えた。母親は私の言葉に驚いた様子で反応した。
「お母さまは、お家を『安全基地』にしたいんですよね?子どもが『ホッ』とできる場所に」
「そう!!そうなんです!」
彼女の声が急に明るくなる。良かった。
「その考え、大賛成です。でも、ちょっとしたコツがあります」と、私は彼女の意欲を引き出すために続けた。
「たとえば……お買い物に行ったとき。『これいくらかな?』って子どもに計算させてみる。図形の話なら、お弁当のおかずの形を楽しく話題にする。そういう自然な学びの機会って、実は毎日たくさんあるんです」
母親は少し考え込んだ後、驚いた声で言った。
「それを学びと呼んでいいんですか……?」
「もちろんです。お母さまが感じられた通り、これなら『勉強』じゃなくて『遊び』感覚に近いですよね。家族の時間は楽しく過ごしながら、自然と学べる環境は作れるんですよ」
電話の向こうで、母親が嬉しそうに笑うのが聞こえた。私も心が温かくなるのを感じた。
「先生、実はもう一つ……」
「はい……」
私は答えたが、和やかになった空気の中に緊張感が再び走る。次は何だろう。
「この前、息子が九九を間違えたとき、つい厳しく叱ってしまって……それからますます勉強嫌いになってしまったみたいで……」
その言葉に、私は胸の内を理解する瞬間を感じた。このことが、家では勉強させないという考えになったきっかけかもしれない。
「あ、それ、私も経験ありますよ!」
「え?先生も?」母親は驚いた様子で尋ねた。
「はい。塾で教え始めた頃、生徒が計算を間違えるたびに『どうしてできないの!』って言ってしまって……未熟でした。ですが、あるとき気づいたんです。間違えることって、実は『学び』のチャンスだな、と」
「チャンス……ですか?」
「はい。『惜しかったね!でも、よく考えたね』って声をかけるようにしたら、生徒たちの表情が変わり始めたんです。間違いを恐れない子は、どんどん伸びていきました」
母親の呼吸が、少しずつ落ち着いていくのが感じられた。
「先生…、ありがとうございます。なんだか、肩の力が抜けました」
私は微笑みながら言った。
「それが一番大切なんです。お母さまの愛情は、十分すぎるくらい素晴らしいです。あとは、その愛情を『待つ』という形で表現してみませんか?」
「待つ……」母親は言葉を噛みしめるように繰り返した。
「はい。芽が伸びるのを、一緒に楽しみながら待つんです」
電話を切る直前、母親は穏やかな声で言った。「先生、今度息子と一緒にスーパーに行ったとき、『これとこれでいくらかな?』って聞いてみます!」
受話器を置きながら、私は微笑んだ。
そして、心の中で思った。
「何がクレーマー気質だ」と。
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![わたねこ|家庭学習アドバイザー](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152080799/profile_4cdb3b84c1a92b1aa5b61607db548e68.jpg?width=600&crop=1:1,smart)