Let us work, Together 朝ドラ「虎に翼」感想文(第10週)
基盤が壊れた後に
神保先生の年齢はわからないけど、仮に平沼騏一郎と同じならこの時80才。調べたら、夏目漱石も同い年だった。
引用した夏目漱石の講演は彼が44歳の時のものだけど、この頃の社会の主体である成年男性が置かれた生きにくさが垣間見えてため息が出る。
明治維新で社会の基盤がぶっ壊れたあと、神経衰弱になるほどのスピードで富国強兵していく中、急拵えの規範を軸に、男として/父として/夫として/師として/いつでも何かの長として振る舞わねばならない矜持と責任はどれほどだっただろう。
突貫工事のトップダウン。重い責任を持つ者たちが上に立ち、他の名もなきものは支える側に回ること。それが今までのルールだった。それが、壊れた。
人生の終期になって迎えた戦争、敗戦という徹底的な基盤の破壊があって、新しくインストールされたOSに合わせてもう一度自分をアップデートさせるなんて…「何もかも変化を強いられて苦しんで」いるのは、神保教授本人だったのかもしれないと思ったりする。
再インストールに必要なこと
「それが一般的な思考だよ」
神保教授にそう言われて、帽子で止められた口を開くことができない寅子。それが一般的な思考だよ。それが普通だよ。何が普通か、何が幸せか、何が正しいかは他の人が決めるんだ。
ああまったく、どんだけ多くの私たちがこうやって思考を止められてきただろう。女性だけじゃない。男性が、政治家が、教師が、親が、こうやって思考をやめさせられ、そしてやめさせ、ひたすら目の前のバケツをリレーした結末が、焦土として広がる国土ではなかったか。
再インストールに必要な条件は、精神的に独立すること。精神的な独立とは、思考すること、自分の考えを持つことだろう。
“普通”を捨てて“私”を持つこと。誰かの顔色をうかがわず、前を向いて「それが私なんです」と叫ぶこと。新しいルールは、「父さんが全部なんとかして」なんてくれないのだから。
Let us work, Together
”Let us work together, サディサン, for the sake of happiness our children.”
とホーナーさんは言った。
人種も性別も社会的身分も、何もかも異なる相手からかけられた言葉は、「私はあなたたちを救う」ではなく、「一緒に頑張ろう」だった。
寅子は年上の男性である彼にアタマを下げるんじゃなく、さっと手を差し出した。握手は、対等な相手との、協働のしるし。Let us work together、だ。
なりたい自分をみつけ、私が私でいることをみつけるのは、うん、多分一人じゃ難しい。
「なんで?」「君はどう思う?」「どうしてそんな他人事なの?」「続けて」
問いかけてくれる仲間がいて、一緒に考えてくれる仲間がいて、嫌味を言ってくれる仲間がいて、弱さを受け止めてくれる仲間がいて、取り巻く様々な人々の力を受けて、私たちはようやく私自身を取り戻せる。透明な縄を嚙み切れる。
個人として独立することは、決して孤独と同義ではないのだ。
深呼吸して、暗記した日本国憲法を読み上げる寅子のそばには、今はもういない人達もちゃんといる。深呼吸して、後悔しないよう、思っていることを口にして、形にしよう。
「第11条、国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。第12条、この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。第13条、すべて国民は、個人として尊重される。第14条、すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的、または社会的関係において差別されない。」…
そんな中、なりたい自分でいるために選択した孤独があった。救えなかった孤独があった。
花岡氏の死をどう受け止めたらいいのか、私は、まだわからないでいる。
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