ゆくはるや 野辺の煙のみちしるべ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第12週)
はるさんの生年は出てこなかったと思うけど、例えば20歳くらいで直道さん産んでたとしたら、寅子が女子部法科に入学した昭和7年(1932)は40代前半…亡くなった昭和24年(1949)は、まだ還暦前だったんじゃないかと思う。令和6年(2024)の現在は、あの衝撃の「頭の良い女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のフリをするしかない」から92年。大体100年先になるんだな。
はるさん。
その優秀な頭脳と几帳面な性格で、常に現状の最善策を取り、石橋をたたいて「確実」を獲りに行く人。同時に将来を見据え、先々を踏まえた計画を立て実行できる人。ホントに、この人が令和の一般企業にいたらどんな”しごでき”リーダーだっただろうと思う。
ところで私には昔からどうも腹落ちしない言葉がいくつかあって、そのうちのひとつが「愛」だ。”情”とか”好ましい”とかならまだわかるんだけれど、「愛」はなんつか…どの温度感で接したらいいか分からない。身になじまないまま気づけば人生後半戦で、だから多岐川さんが「愛の裁判所」と言い出した時も「愛かあ…」と呟いてしまったのだった。正直にいうとそれは茫洋として掴みどころがなく、あまりにも都合よくあちこちで使われる、いわば究極の空論にも思えたから。ホントなんなのそれ、と。
でも今週のはるさんと寅子を観てて、なんか…ちょっとだけわかった気がしたのだ。愛って、何かに向かう強い意思、矢印、ベクトルそのものをいうのかもしれない。
愛が理想を超えて、奇跡を起こす
はるさんが倒れたのはもう優未のおやつの時間だった。寅子が仕事場から駆けつけて、その心残りを聞いて登戸の自宅を飛び出したのは何時だっただろう。単純に上野までの往復だけ考えても、数時間はかかる。よねさんを頼ったとしても居場所がわかるかはあやふやだ。最期のお別れに間に合わないかもしれない。けど数秒逡巡して、飛び出した寅子だ。
「その時、私、決めたのよ。自分の子供の幸せを一番に考えられる母親になるって」
上野に向かう電車の中、寅子は17年前の母の言葉を思い出しただろうか。「子どもの幸せを考える」というはるさんの理想は、娘といる最期の時間を削ってでも、道男に会って抱きしめたいという強い意思とセットだった。しかも道男とは血が繋がってる訳でもない、たまたま長男に名付けようとした名前の持ち主で、何日か一緒に過ごしただけの、他人。けれど、はるさんのその強力な意思は、パワーは、次々と伝播し、本来ならば「現実はこうだって切り捨てられ」るものを超えていった。
「だったら何?!」
「ずっとずっと心配ばかりかけてきたの。最後の願いくらい叶えてあげたいの。だから、お願いします」
寅子に、自分を突き動かす強いチカラについて考える余裕は多分なかったと思う。エゴだろうと何だろうとどーでもいい。正論かどうかなんて考えてない。自分以外のもののため、なりふり構わず欲しいと叫ばせるもの。譲れないもの。拒まれようと何しようと、とにかく実現しなきゃいけない、強い意思、矢印、ベクトルそのもの…愛。
「子供の幸せを一番に考えられる母親」という理想
「男女関係なく困っている方を救い続ける」という理想
誓い、宣言、正論。いくら全力をあげて崇高な理想と目的を掲げても、ただそこにあるだけの言葉の威力は限定的だ。なりふりなど構わないめちゃくちゃな意思が備わって初めて威力を発揮する。人を動かす。その強い意思を、きっと愛と呼ぶ。
「現実ばかり見てちゃ子どもたちを救えないでしょう?」といった寅子だけど、もう彼女の理想論から、”空論”の軽さは消えていくんじゃないだろうか。机の上でこねた理想に血が通う。はるさんが、最期の最後で娘に与えた、教育だったのかもしれないと思う。
ファーストペンギンのロールモデル
さて私は、法曹として働く寅子見ながらロールモデルがいないの大変だなあってずっと思っていた。会議での振る舞いひとつとっても不文律での期待があって、何にも計算せず動けば大きなしっぺがえしが待っている。「特別扱い」は良い方悪い方両方に振れるのだ。憲法が変わって社会上一応平等とはなったけど、ファーストペンギン…最初のひとりって本当に大変だろうって。
けど、いた。いたよ。強い愛で理想を超えて奇跡を起こしたはるさんこそ、これからの寅子のロールモデルなんだ。
かつて「私はお母さんみたいな生き方じゃなくて」といった娘は、時を経てその母をロールモデルに理想を現実にしていく。それは仕事を持ってるとか家庭に入ったとか、そういうことじゃなくて、もっと根っこの、人としてのロールモデル。
ゆくはるの、野辺の送り火。SNSで、日記を燃やすふたりの様子に「火葬のオマージュ」って素敵な示唆をくださった方がいて、ああ、ほんとにそうだなあと思った。春先に亡くなったはるさんの日記は燃えて、煙は白く登戸の空に流れていっただろう。先を行くロールモデルは、死んでなお、寅子と花江、娘ふたりに道を示し続ける。
換算されたもの
手帳につけられた昭和29年の貯蓄計画には、寅子の年収15万円の上に「寅子ならこのあたりまでいけるはず」と書かれていた。”娘”への全幅の信頼、期待のあかしとして「年収」を示す…なんか、すんごく熱いものがこみ上げてきたの、なんだろう。
カネを稼ぐ女であることは、時として揶揄の対象になり、負の側面がフォーカスされがちな社会で生きてきた昭和生まれの私。。
はるさんの手帳に、具体的金額として置き換わった「あなたへの信頼」が、換算できない思いと一緒に、伝わってくるの、…あかん。泣いちゃう。もう泣いちゃう。
はるさん、行動のひとつひとつに情だけじゃなく、俯瞰した「損得勘定」と「うまみ」の確認が入るのめっちゃ好きでした。
上司になって欲しい朝ドラキャラ、私の中では今までおかえりモネの高村さんが一位だったんだけど、そこに並ぶ方になりました。
寂しいけれど、お疲れ様でした。
…ところでかつて、「うちの妻なら300円」って言った人がいましたね。おま、畳の上で死ねたんかい!!
相続、遺言。次週、金額に置き換わるものは何なのか?!雷鳴とどろく暗い部屋。金田一耕助がフケだらけの頭かきながら出てきそうな予告とともに、梅子さんを待つ!!(こ、怖いっ!!!)
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