したたかの弱さ 朝ドラ「虎に翼」感想文(第7週)

したたか
したたかとは、強く屈しないこと、あるいは策略家であることを表す形容動詞である。形容動詞以外の用法として、副詞的用法で「それと分かるほど強く」といった意味合いにも用いられる(例:したたかに足首を打った)。

「したたか」は現在ではやや否定的なニュアンスで用いられることが多いが、漢字表記は「強か」であり、本来は「強くて容易には屈しない」といった意味合いがある。「したたか者」とは古語では「強く気丈な人」といった意味合いがあるが、現在では「思うように扱えない・一筋縄ではいかない人物」といったニュアンスで用いられる。

実用日本語表現辞典より抜粋

「どうしても欲しいものがあるならば、したたかにいきなさいってこと!」
花江が寅子にそう説教したのは昭和6年頃だったか。そこから約10年、第7週は昭和14年4月~昭和16年11月の、2年半の物語。いろんな人々の様々な「したたか」が行き交う一週間だった。

自身が執筆した著作が”安寧秩序を妨害する”として、出版法違反で起訴された落合洋三郎教授。雲野先生は、本の内容ではなく初版の時期で争うという法廷戦術を選択した。でも一審の無罪に、微妙な顔の落合先生。「思想弾圧に屈しろと?」「無理が通って道理が引っ込むようではいかんのだ!」と叫ぶ彼の主張自体が通ることは遂になかった。…そのしたたかな戦術で得た無罪は、本当の”勝ち”なんだろうか?

久保田先輩の法廷デビューは「お国のために活躍する良き妻であり母」と演出される。
「あんたらもさすがに感じてんだろ。世の中の流れに自分らが利用されているって」と竹中。第6週で力強く男女平等を演説した寅子の意図とは全く違う方向で、女性の社会進出が成っていく。それをしたたかに利用して表舞台に立てたとして、それは本当の”勝ち”なんだろうか?

「身の回りの世話をしてほしい」「社会的信用を得たい」既存の社会規範に沿う前提に立った、最適解としての結婚を進める花岡と寅子。規範をしたたかに利用して手に入れた弁護士としての生活は、本当の”勝ち”なんだろうか?

新聞記事が大写しになる。金属回収令が施行となったのは昭和16年(1941)9月だけれど、wikiによるとその前に政府声明で ”不要不急の金属回収” を呼びかけられ、隣組などを通じて任意ながらマンホールの蓋や鉄柵などの回収が始まっていた…とある。
不要不急、という言葉でどきっとする。まず「お気持ち」から縛り始めるこの方法の既視感はなんだろう。「なんだか物騒ね」と花江。ラジオから新聞から聞こえてくる「物騒」は、毎日の生活に追われている間に玄関からヌルっと入り、気づいたときには台所の鍋釜まで奪っていくのだ。

「お国のために質素倹約」と得意げに”当世流行りの”日の丸弁当を食べる轟は、選挙に行っただろうか。日独伊三国同盟を報じるラジオニュースとともに映し出される街の様子に
『自由は国を亡ぼす 推薦で行きませう 大政翼賛会』
という看板がさりげなく差しはさまれていた。調べると、昭和17年(1942)に設置された翼賛政治体制協議会が、政府の施策に忠実に協力する候補者を推薦しその当選を図ったとあった。同協議会の推薦候補者は選挙資金の援助を受けるなど全面的な支援を受け、選挙戦を有利に戦った、とも。

弁当箱いっぱいに白米を敷き詰めた日の丸弁当、そこからあっという間に寿司屋が店をたたむまでに追い込まれる…なのに、まだ、日米開戦の前なのだ。本当に、どれだけ無茶な戦争を私達は許してしまったのだろう。

「この店は、私達の生きがいだからね。出来るだけ続けられるよう、やれることはなんでもやるつもりだから」とたけもとのご夫妻。彼らのいうやれることはなんでも、は、根本的なオカシサを変える努力ではなく、なんでこんなことになったんだと怒るのではなく、それを飲み込んだ上での対処療法なのだ。

「逃げ道を手に入れると人間弱くなるものだぞ」
と、よねは警告した。一度前提を飲み込んでしまった人間がどうなるか。
流されてしまうことの楽を知れば、どこまでも流れていってしまう、ひとの弱さをよねは知っていた。

したたか。
漢字では「強か」。本来は「強くて容易には屈しない」こととある。
でも正面から枠組みを問うのではなく、闘うのではなく、変えるのではなく、”仕方がないこと”と諦め、与えられてしまった枠組みの中で最適解を見つけようとするその方法は、本当に強いのだろうか。令和6年5月、様々なニュースを聞きながら、「責任を負う勇気がないだけだろう」という山田よねの言葉に胸を刺され続けている。

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