「エゴ」で感情が動いても「愛」で物事を考える癖
今回のような新型コロナウィルスも、人的トラブルも、自然災害も、何もかも苦難・苦痛に直面しているとき、私は私のエゴで物事を考え「感情的」になってしまうことが多いです。でも、最近は「愛」で物事をとらえるように意識しています。そうやって考えると気持ちがとても楽になるんです。今はとにかく新型コロナウィルスの連日の報道に、本当に腹が立っている状態です。皆さんも腹を立てることが多いと思います。けれどもその考え方は概ね「エゴ」でとらえた考え方であり、「愛」をもって考えていないことが多かいのではないかと思います。一例として記載します。
私が住む宮城県は20~30代の若者の週末外出自粛を要請しておきながら、学校を4月8日より再開することをきめた。
エゴの観点:「いやいやちょっとまってよ。週末若者の外出を自粛するように言ってるのに、なぜその数日後に子どもたちを集団活動させるのよ?めちゃくちゃ矛盾じゃん!まじ半端なこといってんじゃねーよ!」となる。
私は飲食店を複数店舗経営しており、その行政の要請から、春休みのこの繁忙期に臨時休業をやむなく判断した。売上は大きく減るし、会社経営のリスクへと直結することに怒りを感じた。
また、私は小学生の子どもが2人おり、子どもが万一感染してしまった、周りに感染させてしまったときに、どのように責任を取ればよいかわからないことから、不安や怒りが収まらない状態である。
愛の観点:今後の未来を背負う子どもたちに対する教育の遅れを取り戻すため。片親世帯や共働き世帯にとっては学校が稼働していないととても困る現状も理解できるため。厳しい状況化でも安全な環境をきっちり準備し、学校を再開させてくれることに対して敬意を表すべきとも考える。
当然それを運営する先生方も、そのリスクの中で最前線で活動するわけであり、尊敬されるべき存在であり、決してクレームを受けていい存在であってはならない。
また、私の経営する店舗の売り上げが減ることと引き換えに、若者が週末出歩かないことで、クラスター感染の確立などが減ることも理解できるし、命を守ることができる。アクションそのものが社会に対して社会貢献を担えることを誇りに思い行動すれば、仲間たちのモチベーションも上がるし、世間から社会的責任を果たす企業とも評価される。得るものも多く、後々返ってくる原動力ともなりうる。
こんな感じで、エゴ観点で感情のコントロールができなくなったときは、「あれれ?なんで俺はこんなに怒ってるんだ?」と愛観点で考えてみよう。その事実の裏に何が潜んでいるのか?を愛観点でWhy / Why / Whyを繰り返し分析することで、徐々に沸点を下げることができるだなあと。
新型コロナウィルスが招く様々な感情の乱れ。これからもどんどん増えそうではありますが、「愛」で物事を考える癖をつける訓練の場として頑張りたいと思う今日この頃でした。
マスク2枚配る政策。検査件数が全然少ない件。なんやかんや色々ありますが、これ系は特に結構エゴで物事考えてしまいます。そりゃ私もエゴで考えまくってますがw愛をもって考えると結構楽観できることもありますよ。いずれにせよ、この状況は全員プレイでなんとかせねばですね。。。
それでは、Have a nice weekend at home!
齊藤良太