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母という呪縛 娘という牢獄_20230407

2018年3月に滋賀県で起きた母親殺害事件の加害者である一人娘との書簡のやり取りをベースに作られた、共同通信社の司法記者だった著者のノンフィクションを一気読みしました。

<当時の事件記事>
https://www.asahi.com/articles/ASL655WKXL65PTJB01B.html

ノンフィクションですし、すでに著者がネット上で同内容の記事をアップしているので、書籍とネットでほぼ同じ内容のものが多いので、書籍を読まずともキーワードでググれば内容の大部分はフォローできます。

学歴信奉(しかも『医学部』という特上の)に囚われ続けたいわゆる「毒親」と、それに中学生の時から大学受験失敗を経て9年の浪人の長きにわたって応えることを強要され、看護学科に合格して一定の解放を得られた学生生活においても「助産師」になるというハードルを課され、それに耐え続けついに臨界点を迎えた娘の凶行とそれに至るバックグラウンドが丁寧に綴られています。

どちらかというと、殺人を犯した本人よりも、殺人に至る原因を作った母親がなぜ学歴信奉の毒親になったのかに興味を持ちましたが、母親の生い立ちについては書籍内で数ページしか触れらていません。
それによれば、戦後米軍駐留の拠点となった岩国で生まれ、その後海兵隊軍医だった義父とアメリカに渡ってしまった実母に代わり叔母夫婦のもとで高校まで育てられ、卒業後にアメリカに渡ったが数年で戻り、見合い結婚して娘を出産しているそうです。
アメリカに渡った実母からは相当の援助を受けていたような記述もみられ、軍医から歯科医になった義父に成功者のイメージを重ね、学歴信奉に陥ったように書かれています。

何度娘が家出しても私立探偵を雇ってでも見つけ出す親、嘘や捏造を重ねてでもその場の親の怒りをやり過ごそうとする娘、この関係性の異常さは理解を超えていますが、ある意味ツンデレ的な「相互依存」の関係で成り立っていたのだと感じました。
正直、成人してからは相互依存を断ち切る術はあったのかもしれませんが、それまでの長きにわたる束縛により硬直化した思考では「誰かに相談する」という選択肢は残されていなかったのかもしれません。

逮捕され裁判が進む中で、軽蔑すらしていた父親からのやさしさや裁判官の判決の言葉を受け入れて視野が広がり、改悛していく様子が描かれていますが、重大な結果になる前にこういったサポートが受けられなかったのか、中学・高校時代にどこかで親子双方に手が差し伸べられていればと思う次第です。

子は親の所有物ではなく、あくまで独立した個人である。

この当たり前の価値観を当たり前にできないことが生んだ悲劇ですが、このような悲劇の火種は実はそこら中に落ちているんじゃないかと思う次第です。

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