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なぜ働いていると本が読めなくなるのか_20241009

図書館の新着の棚に置かれていた、発売一週間で10万部売れたという話題の新書。
某国営放送のニュースの中で取り上げられていて、興味を持ったので手に取ってみました。

著者の三宅香帆氏は、本を読む余裕が欲しくて勤め先辞めちゃうくらいの文芸評論家さんだそうで、労働と読書の関係性を明治時代から2010年代まで追っていく流れ。

かつては労働者が階級格差を乗り越えていくために「教養」を得る手段だった読書が、新自由主義(ネオリベラリズム)の台頭とともに、「読書」によって得られる「教養」から、「労働」によって図る「自己実現」へと置き換わってしまった結果、長時間労働に拍車がかかり読書に割く時間が減っていったとあります。

そして、どの時代でも自己啓発本の類がベストセラーとしてもてはやされてきた歴史があるが、かつては司馬遼太郎作品のような「人の内面のあり方」を説いた本から、「自らの行動」を促す本へとその質も時代によって変わっていき、タイパ・コスパのよいハウツー本が売れ筋となっていったようです。
こうした流れのなかで、これまで小説や古典全集の読書を通じて「知識」を得ていたものが、自己啓発本から得られる「情報」を求めるようになり、さらにインターネットの登場・急発展により「情報」を得る手段の主役が変わっていったようです。

書中では、「知識」と「情報」の差異をその「ノイズ(偶然性)」であると述べています。
つまり、読書の対象となる小説のようなフィクションの世界では、読み手に新たな興味領域の広がりを期待させる展開が存在し、それが「知識」として蓄えられ「教養」につながっていくが、自己啓発本では社会や他人といった自らがコントロールできない要素をノイズとして除去したものを「情報」として得ていくことになります。
そして、インターネットではさらに簡略化された「情報」を得ることが主流となり、タイパ・コスパを重視する「ファスト志向」がもてはやされるようになっていきます。

このような社会の流れの中で、「教養」につながる「読書」離れに拍車がかかる中、著者は最終章で「全身全霊で働く社会」から「半身で働く社会」への移行を勧め、自分の関心の範囲外に目を向けそこにある「ノイズ(他者の文脈)」に触れることが大切であり、本当の「読書」ができる余裕のある社会の実現を提言しています。

ということで、忙しい中で本を読むためのハウツー本ではなく、近代の労働史と読書の関係を論じた社会提言でした。
そんな余裕のある社会が実現するかはわかりませんが、こうやって環境が変わったことで日々本が読めている自分がいるので、環境(生き方)を変えてみな的な視点で捉えた場合には、本書もノイズ多めの自己啓発本かもしれません。

ただ、環境を変えることができたのだってハードな環境に身を置いた経験からであり、教養の大切さに気付くのも「情報」摂取だけではぶち当たる限界を知る経験からだと思うので、モーレツになることを安易に否定はできません。

少なくとも、いつでも「情報」の世界から「読書(知識の蓄積と教養への昇華)」の世界に戻れるように、余裕のある幼いころから読書を習慣化することが大事なんでしょうね。

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