見出し画像

限界国家_20230905

タイトルに惹かれて借りた本を読了。
日本経済の近未来予測小説といったところでしょうか。
端的にいってしまえば、日本の政財界に居座る老害に対する作者の怒りが爆発してる感じの小説でした。

日本の行く末を案じる年老いたフィクサーがコンサル会社にやってきて、20-30年後の日本の姿のリサーチを依頼。
その調査過程における社内のヤメキャリ(元官僚)へのヒヤリングを通して、人口減少と過疎化、AIや機械化による職業寿命の短命化などなど、暗澹たる未来予測が続く。
後半では、解決策が見えない中、依頼者であるフィクサーとメタバースやNFTに可能性を見出す若手ベンチャー経営者との対談を通じて「国」という概念自体が意味をなさないことを老人が思い知らされるが、国に縛られない若い世代の考えや、労働からの解放を目指す技術革新が人口減少社会とマッチする可能性に希望を見出して終わる、ちゃんちゃんって感じの内容です。

本作では、人口動態統計をベースに、内需依存型経済を回すために必要な人口(1億人)を維持するために求められる合計特殊出生率(2.07)を大きく下回る現在の合計特殊出生率(1.26)では、2040-50年に1億人を割り込むが、時すでに遅しで今さら複数人の子供を育てられる環境にないと断じています。

確かに、今年4月26日に国立社会保障・人口問題研究所から発表された「日本の将来推計人口(令和5年推計)」によれば、2020年の国勢調査の結果をベースに合計特殊出生率を1.36と仮定した推計で2056年に1億人を割り込むとしているので、合計特殊出生率1.26ならばより早くこの状況に陥るのかもしれません。

一方で、作者のいう内需依存型経済の破綻が本当に起こるのか、1億人いないと内需型経済が成立しないという根拠が示されていないことが気になりました。
確かに、人口=国内市場が増加することが経済規模が拡大するという「規模の経済」の観点からは人口減少は悲観的に捉えられやすいですが、「大量生産・大量消費」などという規模偏重の考え自体が日本の現状にマッチしていないのだから、「適正規模の経済」を目指せばいいだけで、しっかり生産・消費が回るように最大の消費者である労働者の購買力をキープできるような賃金のあり方を模索することが必要なんではないかと思う次第です。

さらに言えば、本作では地方の過疎化の行きつく先が、東京や大阪などの中心都市部への集約化しかないような書き方をしていますが、先日読了した冨山和彦さんの新書(なぜローカル経済から日本は甦るのか)をヒントとするならば、グローバル経済圏とローカル経済圏という違うルールで動く経済圏が存在している以上、地方のある程度の中核都市への集約化はあれど、そこまで狭い都市にこぞって集まる必要性を感じないのが正直なところです。

でもって、後半ではベンチャー経営者に若者世代の考えを代弁させて、依頼者のフィクサー世代を「老害」的存在としその尻拭いを俺らにさせるなと糾弾しているのですが、何を今さらという感じではありますし、それを許してきた&これからも許してしまうのは我々国民なんですから、自業自得ですよねという感想しか持ちませんでした。

あと、メタバースもNFTも現在は下火(将来的には分かりません)で結局投機の域を出なかったわけですが、本作で登場する若手ベンチャー経営者にはなんとか頑張って欲しいものです・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?