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TwitterからXへ 世界から青い鳥が消えた日_20250220

新聞の書評欄で見かけて興味を持った本を読了。

前半は、Twitterの共同創業者だったジャック・ドーシーがCEOに復帰し、2016年のアメリカ大統領選に絡みトランプのアカウントを追放したあたりのお話。
確かに、己が生み出したとはいえすでに公器に近い存在となっているSNSプラットフォームにおける言論の自由に対して、いち企業がルールを作って発言の責任まで取らせるということが行きすぎだと感じるジャック・ドーシーの感覚もわからないでもないが、Twitterという会社が公器然としていながら広告収入で成り立っている公開会社であるという矛盾は、たとえ他の収入源を得たとしても永遠に解決しない問題だろうかと思われ。

後半は、ジャック・ドーシーの敬愛するイーロン・マスクがTwitterを買収して、企業文化をこれでもかと破壊して名前をXに変え、裸の王様になりながらそれでも突き進む様を描いていますが、これを読む限りイーロン・マスクは完全に双極性障害+アスペルガー症候群な感じ、やっぱり天才は何かと紙一重なんでしょうねぇと思わせられる内容でした。

タイトルどおり、旧TwitterがXになっていくまでのゴタゴタを描いた作品で、そこに未来への希望もへったくれも存在しないドキュメンタリーなので、へぇーくらいしか感想がないところです。

かつてのMSやGoogleもそうですが、いち民間企業がプラットフォーマーとして独占的な地位を手に入れるとロクなことはないですが、かといってそこに公益性を求めることは、資本家という登場人物からすれば、公益性を追求することが企業価値(=株価)の向上に資するかという問題があるので、その線引きは難しいところです。

その意味で言えば、イーロン・マスクが買収して非公開化したことにより、資本家という登場人物はいなくなりましたが、新オーナーが暴君だったことにより青い鳥は公共性というユートピアを夢見ながら鳥かごの中で斬殺されてしまったんだなぁという感じ。

Xからの移行先として、ジャック・ドーシーが絡んでるBlueskyやメタ傘下でインスタ派生のThreds、純国産のmixi2なども生み出されていますが、与えられたものに粛々と従う受け身民族の日本人的には、暴君であっても絶対君主への服従からの解放はままならない(単に面倒)のかもしれません。

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