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サンショウウオの四十九日_20240831

前回読んだ芥川賞受賞作の「バリ山行」
これまでの受賞作の読後感はチンプンカンプンでしたが、前回はそれなりに理解できたことから、少しは文学的素養が出てきたのかと勘違いして、同じ第171回芥川賞受賞作である本作を読了。

作者の朝比奈秋氏の他の著作は前に読んでました。

現役医師であり、身体や医療をテーマとして取り扱う作者が、今回取り扱ったのは「結合双生児」。
僕ら世代だと、ベトナム戦争の枯葉剤の影響を受け来日もした「ベトちゃん・ドクちゃん」のように体の一部がくっついて共有しているイメージですが、今作では1人の人間の体がちょうど真ん中でくっついて共有している結合双生児の「杏と瞬」が主人公。
文中でも※印で区切りをつけていてる(最後は混ざってましたが)けど、そこで語り手が入れ替わるので少し戸惑いながらも読み切ることができました。

杏と瞬は、外見的には一つの体に二つの人格なので「多重人格」みたいだなと思いつつも、「胎児内胎児」というこれまた稀な出自の父親や母親たちが、二人いることに気づいてからはそれぞれの人格にしっかりと接していることもあってか、思考の過程や行動を見てもそれほどひねくれて育っていないことが意外だなと妙に感心しました。

杏が語った「自分だけの体を持っている人はいない。みんな気がついていないだけで、みんなくっついていて、みんなこんがらがっている。自分だけの体、自分だけの思考、自分だけの記憶、自分だけの感情、なんてものは実のところ誰にも存在しない。」というくだりが印象に残り、それがこの作品のメインテーマなのかなぁと思いました。

ただ、一つの体を共有する全く別の二つの人格という究極に近い境界線を通して、自分と他人との境界線というもののあいまいさを考えていくことにつながっていくのでしょうが、僕程度の感受性では自身の考えというものも所詮他者からの干渉にさらされている程度にしか理解できなかったが残念です。

また、かつて胎児内胎児として父親を支えてきた伯父の死をきっかけに自身の死について思考するようになり、扁桃炎の悪化により瞬が自身の死を「意識的な死」と捉える描写が出てきますが、確かにこれだけ一つの体を共有しているならば、「肉体的な死」と「意識的な死」が別個に存在することもあり得るし、僕たちが「死」と呼ぶものの本質は何なのかを考えさせられるシチュエーションでした。
常識的に考えたら、悪化しすぎたら普通に杏も瞬も一つの体なんだからそのままともども死んでしまいそうですが・・・

新潮社の本作の書籍紹介のページに、「ハンチバック」で芥川賞を受賞した市川沙央氏の書評が掲載されており、その中で結合双生児の姉妹がテーマとなっている作品として萩尾望都氏の「半神」という漫画作品が紹介されています。
気になって調べたら、なんと9/10まで無料で読めるので、こちらもご一読をお勧めします。


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