
裁判員17人の声_20241014
図書館に本を返しに行ったときに、新刊本のところに並んでいたので手に取ってみました。
裁判員制度は、2009年にスタートして15年目の節目を迎えるそうで、そんなに経ったんですねというのが正直な感想です。
これまでに延べ12万4000人が裁判員(補充裁判員含む)に選ばれたようで、開始当初は年間1万人超が参加していたようですが、対象事件(殺人罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など)の減少とともに約半数の6,000人程度にとどまっている状況です。
さらに、選ばれても辞退する候補者の割合が2023年では66.9%、候補者の選任手続期日の出席率は68.6%(!)、おいおい候補者になっても2/3以上が手続きの日にブッチするってどんな制度やねん!というツッコミが入ります。
ちなみに、裁判員制度への参加は法律上の義務ですので、裁判所から呼び出し食らってるのにブッチすると10万円以下の過料に処せられることがあります。(裁判員法第112条)
前提知識はこれくらいにして、実際に参加したことがある経験者17人のインタビューを載せた本書、著者は「裁判員経験者ネットワーク」という、市井の側から裁判員制度をより良いものにしようと提言している団体です。
本書を通じて訴えている制度への改善提案はいくつかありますが、その中でも特に強調しているのは「守秘義務」の範囲が明確でないという点です。
裁判員制度における守秘義務は、あくまでクローズドで行われる「評議(有罪・無罪や量刑の判断)の内容」がメインであり、公開の法廷での内容については問題ないとされていますが、裁判員経験者はその線引きがあいまいで口をつぐんでしまうことが制度の理解を妨げていると考えているようです。
ということで、インタビューの内容も意図的にかどうかは別にして、上記の方向に流れをもっていく感じになっており、さらに「経験者ネットワーク」のような存在がもっとクローズアップされるべきというような手前味噌なインタビューになっていることは致し方ないのかなと。
一方で、経験した人の9割以上が「経験して良かった」という感想を述べていることも、リップサービスを抜きにして市井の人々の司法への参加という制度趣旨には合致しているのだろうと思われます。
じゃあどうして、制度への理解が広まらず、辞退やブッチが平然と行われるのか?
本書で指摘されているように、裁判員裁判の実情が当事者からあまり語られなかったことや当事者になるか法学部生でもない限り触れる機会もないことは、広がりを欠く原因の一つであることは間違いないとは思います。
ブッチすると罰則があるはずなのにそれが施行されたケースはないということも、「だったら行かなくてもいいや」的な発想につながるということも容易に想像できます。
でも、それ以上に裁判所(最高裁)が市井の人間に司直の一部を渡すことに根本的な嫌悪感を持っているからだろうと、本書を読みながら感じました。
経験談として「裁判官は丁寧に進めてくれた」とか「裁判官も一人の人間なんだと思った」といった肯定的な内容が書かれていましたが、だからと言って制度そのものに肯定的かどうかはわかりません。
最高裁を頂点としたヒエラルキー社会である裁判所において、トップダウンでおりてきた裁判員による裁判を担当することになった裁判官が、ミスなくソツなくこなそうとすることは当然です。
一方で、裁判官個人が制度の広がりに手を貸すことに取り組む様子は見られず、罰則規定も機能していないということは、この制度を重要視ししていないからに他ならないのではと感じるのです。
さらに言えば、裁判員裁判は第一審のみであり、控訴すれば裁判官による控訴審となるという制度設計にもその意図が見られるように思います。
もちろん、第一審無罪で控訴審有罪となった事件を最高裁が控訴審判決破棄&控訴棄却して無罪確定させたケースもありますが・・・
いずれにしても、15年やってきたのだから制度にひずみがある部分などは積極的に改善すべきとは思います。
守秘義務などもそうですが、そもそも裁判員制度でいいのか?本当の意味で市井に司直を担わせるのなら、アメリカやイギリスで行われている陪審制度(裁判官がタッチしない合議・全員一致の原則・量刑は裁判官マター)との対比を再度行い根本から見直すべきではないかとも思ってしまいます。
そして何より、公民程度でお茶を濁すにではなく、法教育を義務教育レベルから行って、来るべき裁判員の重責を担える人間を目指す体制を構築すべきだと思います。