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自分の美意識・センスとは?を問う1冊


私は、デザイナーとして仕事をしているとき
依頼者の思考をなぞり「要件を満たす正解」を追い求めすぎて、
自分の「好き、嫌い」がわからなくなってしまう期間がある。

特に私の場合は、事業会社でレギュレーションがある程度決められているなかで、要件をパズルのようにアウトプットする手段をとっているから、「良い、悪い」「美しい、綺麗でない」などではなく、「合ってるか、外れているか」の判断になることが多く、この問題に陥りやすいと分析している。

私はこの問題に直面している期間を「感覚おぼろげ期」と呼んでいる。
(自分の全身の感覚センサーが鈍く、はっきりと掴めない状態という意味)

「感覚おぼろげ期」は非常に心地が悪く、なるべく早く抜け出したい。そんな時は、松浦弥太郎さんの著書に駆け込む。

つい先日もこの期間に突入し、手に取ったのが

「センス入門」 松浦 弥太郎 著

「おしゃれな人は〇〇を身につける」といった、具体的な指南書ではなく、センスを「物の見方」や「価値観」として捉えた視点で書かれており、読者個人の中にある「美学」と対峙するような本だと思った。

選ぶということ

情報が溢れていて、映画やお店選びも誰かの評価を見て選んでいたりする。お店でいいなと思ったものの値段をすぐに見てしまう。(私もよくやってしまう)
これらの行動に対して「自分の気持ちを、品物を見る入り口にしたい」という松浦さんの言葉にドキッとしてしまった。
表示された数字だけで判断してしまう(コスパ、タイパがいいなど)と
その先に起こる素敵なことを、みすみすみ逃しているのと同じなのだと。

確かに、自分の生活を豊かにしたくて、服を買ったり、映画を観たりしているのに、私とは全く異なる価値観を持つ誰かが付けた批評や数字だけで選んでしまうのは勿体無い。何の正解を求めているのだろうとふと考えた。

もちろん、最大公約数を狙うのが自分の美学だ!と思う人もいても良し。
でも私はストレスフリーな選択ではなく「不快感」「嫌悪感」をも楽しみたいのだと気付いた。

体験して、吸収して、脱皮する

私は「好き」を柔軟に。進化も退化もさせ続けたいと思っている。
なぜなら、松浦さんの主張のとおり、センスを「自己表現の一環」としてだけでなく、「他者を思いやる心」や「社会への貢献」に必要なものと捉えているからだ。

「考える機動力が好奇心」
「何でも知っている人より、何でも考える人になった方がいい」
「ときには自分を無くさないといけないこともある」

「センス入門」 松浦 弥太郎 著

よく「インプットだけでなくアウトプットをしろ」というが
センスを磨くためには「好奇心旺盛に体験→吸収&考察→脱皮」のプロセスなのだろうと考えた。

「自分の好き、嫌い」がわからなくなってしまう。
私の「感覚おぼろげ期」は脱皮から吸収までの健全なプロセスなのでは?
と肯定的に捉えてみた。たくさん吸収して、悩んで、考えて、時に失敗する。心地よいエラーを存分に楽しもうと思う。

終わりのない、自分の「美学」への考察のお供に、また松浦さんにお世話になりたい。


本のまとめ

  • 具体的な指南書ではない

  • センスは「自己表現の一環」だけでなく、「他者を思いやる心」や「社会への貢献」に必要なスキル

  • 日常の小さな選択や行動の中にセンスを見出し、自分自身の価値観や生き方を見つめ直すことで、均一的でない「自分らしさのセンスを磨く」ヒントになる一冊

こんな人におすすめ

  • 自己表現や個性を重んじたい人

  • 「センス」に対して敷居の高さを感じている人

  • 独自の感性で日常生活をより豊かにしたい人




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