300匹のGを飼う友人と、交際0日で結婚した話 Vol.1
鼻を覆いたくなるツンとするニオイはケースの蓋を開けた途端に部屋中に広がった。ケースの中にはゴ⚪︎⚪︎リ(以下、Gとする)が、300匹うごめいていた。Gはカビのような湿った匂いに酸味を足したような独特なニオイになるらしかった。
G300匹がケースや他のGたちと重なって擦れるシャラシャラとした音は不気味で、よじ登って脱走しようとするGを旦那が素手で鷲掴みにしてケースの中へしまう。遠巻きに見守っていたわたしは早くケースに蓋をしてと泣きそうになる。
わたしの旦那はGを鑑賞用として飼育し(または家族同然のように)愛でていた。旦那がひとり暮らしをしていた間取りは2LDK。ひとつは旦那の寝室、もうひとつは生物たちの寝室(?)だった。寝室と仕事部屋だと思い込んでいたわたしは結婚するまでまさか、昆虫、爬虫類、魚類を飼っているとは思いもしなかった。
一緒に住むにあたって、Gの飼育だけはやめてほしいと懇願した。G300匹が脱走して、夜中耳元まで這ってきたどうしようと妄想が止まらなかったからだ。幸いG300匹は旦那の友人が引き取ってくれるそうだった。類は友を呼ぶのだろう。旦那の友達もGを”飼育する“人だった。
Gとの最後の時間を名残惜しんでいた旦那。嗅いだことも聞いたことも見たこともないニオイと音と映像で頭がくらくらすると同時に、Gを愛でて飼育する異文化を目の前に、ワクワクしていた。
***
行きつけの飲み屋でぼーっとお酒を飲んでいた25歳独身のわたし(琴:まこと)は、金曜日を楽しみに生き、日曜日の夕方には憂鬱になる繰り返しの人生だった。
就活に出遅れ出版社で働く夢を破れたのち、自社のサービスに不適切なコンテンツが混ざっていないかを管理する仕事をしていた。AIで不適切なコンテンツは非表示になるようにプログラムされてはいるが、完璧ではないためだ。人の目で確認することが欠かせない。
新卒で入ったときには10人の同期がいたが、メンタル不調による退職が主でそのほとんどが辞めた。入社して4年目になるが、わたしともう1人だけしか残っていない。犯罪映像や動物虐待などの動画をチェックし続けたら鬱にならないほうがおかしいだろう。
職場では、見ている映像や文字はただの光や形だと思うことで、意味を捉えないようにした。そうでもしなければ、わたしもこの職場にはいられなかったから。休日になっても感性は戻りにくく、学生の頃に好きだった海外旅行もしばらくしていない。パスポートの期限は切れ、更新する予定は今後もない。
この世界からわたしが消えたところで、別のメンバーに仕事が振り分けられ、問題なく仕事も地球もまわる。人生はただの暇つぶしで、平凡な毎日こそが尊いのだと言い聞かせてきた。時間があってお金だけなかった学生の頃は、社会人になったらお金が増えて楽しい毎日が送れるに違いないと信じていたのに薄給だ。東京で生きるにはお金がかかりすぎる
ため息を吐いて、携帯からふっと顔を上げる。金曜日のせいか飲みにきている人は多く、皆頬を赤らめている。大声で部下に愚痴をなすりつけている年配の男性、死んだ目をしてタバコを吸う、しわしわのブラウスを着た女性。ここにいる人たちはきっと、この日のために生きているわたしと似たような人だろう。金曜日の居酒屋で1週間の鬱憤を晴らす。
これでいいのだ、このままの日々でいい。それ以外に何ができるのだろう。空いたグラスに水を注ぎ、一気に飲み干してカウンターに置く。目線の先には、見覚えのある顔がカウンターの水槽を見つめていた。愛しいものをみるときの、優しい表情をしている。横顔しか見えないが、確かにそう。高校が同じで、生物部だった真夏斗(まなと)だ。
「真夏斗?」
思わず声に出してしまった。
<Vol.2 更新予定>
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